2009年11月 8日 (日)

<共和国>はグローバル化を超えられるか

Republicandglobalization J=P・シュヴェヌマン 樋口陽一 三浦信孝『<共和国>はグローバル化を超えられるか』(平凡社新書)を読みました。
 シュヴェヌマン氏は、フランス共和国の閣僚歴任者だそうな。その氏と樋口陽一さん(憲法学者)の公開討論「第五共和制五〇年と<共和国>のゆくえ」──2008年12月に日仏文化会館(恵比寿)で催された──の載録を中心に、二氏と三浦信孝さん(司会を努めたフランス研究者)の事前後の文章を掲載したものです。

 大きな新発見は無かったけど──現在フランスが第五共和制とは知らなかったが(笑)──、もろもろの再認識・再確認などがありました。
●「日本国」は立憲君主制ではない
 戦後の天皇は象徴であり、(権能の如何を問わず)正式の元首ではない。よって、立憲君主制ではないと。
●「市民」とは何か
 フランス革命を起源として定義すると、「市民とは、感受性を備え、さまざまな欲望や欲求をもち、自然権を享受する個人であるだけでなく、一般意思すなわち法の形成に参加する義務を意識した理性的個人である。」(P.74)なんだそうな。
●大臣というのは、口を閉ざすものだ
 シュヴェヌマン氏いわく、「大臣というのは、口を閉ざすものだ。口を開きたい時には辞任する」(P.90)だそう。閣内不一致の意見があるならば、辞職してから言うべきだと。
 それで三回も、閣僚辞任したんだそうな。
●初等教育の最重視
 「他人の助けを借りないで自分の頭で考え自分で判断できる能力を子供の中に植えつける」(P.95)ことだそう。
 ゆえに小学校教師は、「人為的に作成する人」の意で呼ばれるそうな。
●株主/市場主権のグローバル経済
 シュヴェヌマン氏いわく、「金融市場は人類の歴史の地平にはなりえない」(P.133)。
●「共和国」とは何か
 「あらゆる教条(ドグマ)の支配から自由な共通の空間における市民間の討議のこと」(P.211)だそうな。
●ただ乗り
 より日本に即した(?)樋口さんの率直な懸念──「自由な社会はただ乗りを許容する。」(P.211)。イエーリングの言を借り、千人の社会で百人・五百人がただ乗りしたら、乗るべき本体が無くなってしまうのではないかと。
 「市民」が大半を占めない「共和国」たりえない民主的な国は、ただ乗りを常態として認められないのではないかと……。(だから日本は、生活保護要件などが厳しい……訳ではなかろうが)

 日本が「共和国」になるのは、難しそうだねぇ。他者の主張を理解して、議論できないんだから……。
 目に見える(本来は)知的エリートの場──国会などが「共和国」たりえていれば、まだいいんですけど。「前提」と「演繹過程」を弁別し、(情緒ではなく)哲学をもって理解/主張できないんだから。

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2009年11月 4日 (水)

ゾティーク幻妖怪異譚

Zothique クラーク・アシュトン・スミス『ゾティーク幻妖怪異譚』(創元推理文庫)を読みました。創元社の出版物、買うの初めてかも(笑)。
 1932~1953年に発表された、地球最後の大陸「ゾティーク」を舞台とした物語。詩(巻頭の一篇)および小説16篇からなっています。作者はラヴクラフトと親交があり、「クトゥルフ神話」ものも書いたんだそうな。

ゾティーク幻妖怪異譚 - クラーク・アシュトン・スミス/大瀧啓裕 訳|東京創元社
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488541026

 すごく良かった。久方ぶりに、小説を読んで得したと思いました。
 簡潔にして流麗な文章。(解説を除き)約410ページで、翻訳ものとあって文字がぎっしり。読了まで相応に時間かかりますが、すんなりと読み下せる文章でした。文章で衒っている、(初期は除いた)『吸血鬼ハンターD』シリーズより読みやすい。翻訳も良いんでしょうね。
 「ゾティーク」全作品──収録17篇のタイトルは、下記のとおり。これらタイトルの二・三個以上にピンと来たら──気になったら、断然お勧めいたします(笑)。

「ゾティーク」
「降霊術師の帝国」
「拷問者の島」
「死体安置所の神」
「暗黒の魔像」
「エウウォラン王の航海」
「地下納骨所に巣を張るもの」
「墓の落とし子」
「ウルアの妖術」
「クセートゥラ」
「最後の象形文字」
「ナートの降霊術」
「プトゥームの黒人の大修道院長」
「イラロタの死」
「アドムファの庭園」
「蟹の支配者」
「モルテュッラ」

 はるか未来(?)の、太陽の輝きが弱まった世界。現在の東アフリカから南アジアに及ぶインド洋沿岸“弧”の地域やインドネシア群島が合わさって、地球最後の大陸「ゾティーク」が形成されていた。周りには島々もあり、(物語には出てこないが)南には現在とは別のオーストラリア島もあるらしい。
 現在の宗教は忘れ去られ、科学工業文化は微塵も無くなっていた。陸上は馬など、海上はガレーなどが移動手段。火薬も存在せず、武器・兵器はヨーロッパ中世以前の状態だった。
 科学文明の忘却に反比例して──弱まる太陽に比例してか、代わってゾティークでは魔術の長い歴史が積み上げられていた。誰もが能くはしないが、一部の人々/地域においては。
 なおも忌まわしいとされる降霊術(≒死体復活術)を、隠然と行う者もいた。あるいは、公然と行われる地もあった……。

 「降霊術師の帝国」は、あっさり淡々とした感じ。開幕の小説とあってか。二篇目の小説からはビンビン。「これで終わり?」ってのもあるけど(笑)。
 少なからぬ陰惨な描写・悲惨な展開も、こけおどしではない無駄を排した文章が素敵です。プロットは、さほど凝ってはいませんけどね。時には、起承転結をなしてなかったり。
 でも、いいんですねぇ。各文・各篇・全編、すべてが幻妖を綾なしていて。

 とか言いながら今まで、本格(?)幻想怪奇小説を読んだことがありません。それっぽいので読んだのは、小林泰三『玩具修理者』(←「クトゥルフ神話」風味?)とクリス・エヴァンス『鉄(くろがね)のエルフ』ぐらいかしら。有名どころはキング(の一部?)や「クトゥルフ神話」ものでしょうが(日本なら江戸川乱歩も?)、いずれも量が多くて手を出しにくいしね(笑)。
 でも、フィッツ=ジェイムズ・オブライエン『金剛石のレンズ』は読みたいです。『ゾティーク幻妖怪異譚』の翻訳者が、昨年に訳出されたものらしいので……。

金剛石のレンズ - フィッツ=ジェイムズ・オブライエン/大瀧啓裕 訳|東京創元社
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488538026

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2009年11月 2日 (月)

批評のジェノサイズ

Genoscytheofcriticism 宇野常寛 更科修一郎『サブカルチャー最終審判 批評のジェノサイズ』(サイゾー)を読みました。
 前に紹介した批評家の宇野さんと、その師匠筋(?)の方──宮台真司・東浩紀の両氏らだけじゃないのね──との対談本。月刊「サイゾー」の連載記事(2008年6月~2009年6月)を基に、あとがきを含む2.5ヶ月分ぐらいの新規コンテンツが加えられた。

月刊サイゾー、自爆誤爆連載『サブカルチャー最終審判』ついに書籍化&発売! - 日刊サイゾー
http://www.cyzo.com/2009/10/post_2987.html

 対談本とあって、『ゼロ年代の想像力』より大らか。ざっくばらんに、毒舌も吐かれています。「COMICリュウ」を、「加齢臭がキツすぎる」「中年オタクホイホイ」「豪華な老人ホーム」などと(笑)。
 説明の流れ上で、作品名の羅列が続いたりもします。しかし例示される物語群から、わたしが広く作品/番組/媒体を鑑賞していないのを痛感しました。アニメ、TVドラマ、(主に近年の日本)映画、ラヂオ、雑誌、ブンガクなどなど……。別に、いいけど(笑)。

 追加コンテンツは、「特別対談 AD2019サブカルチャー最終審判」。更科さんは2012年にロンドンでテロル巻き添え死していて、2019年にイタコに呼び出されたという体で。
 ネタとしては楽しめました。「タモリ倶楽部」が、「半田健人倶楽部」に引き継がれたとか(笑)。

 内容面で言えば、あい変らず身体性が薄いですねぇ。あと、自分の身の回り・趣味性を越えたシビアな現実が眼中に無い点もね。雨宮処凛さんを、ヒガミ系と切って捨てるだけだったり。
 まあ著者が近親憎悪をいだく(?)ような、自己や狭いコミュニケーションに汲々としている人向けの本なんでしょうね。「中間共同体」云々とか。
 「どっぷりと一つのコミュニティにだけに浸からず、複数にリスク分散しろ」なる旨は、投資アドヴァイスかよ!って思っちゃいます。でも、首肯する人もいるんだろうなあ……。

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2009年10月29日 (木)

吸血鬼ハンター21 D-魔性馬車

D21 菊地秀行『D-魔性馬車』(朝日文庫ソノラマセレクション)を読みました。前に紹介している小説の最新巻です。

 西部劇『駅馬車』を、意識されたそうです。西部劇であるかは兎も角、ちょっと薄いかなあ。どのゲスト人物もだけど、特にボス──貴族(吸血鬼)が。『D』史上、最も耽美的な貴族かもしれませんが……。
 今回は、「貴族ハンター」なる語彙が多用されていました。「吸血鬼ハンター」ではなく。過去に使ってたかしら?

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2009年10月18日 (日)

差別と日本人

Sabetsutonihonjin 野中広務 辛淑玉『差別と日本人』(角川oneテーマ21)を読みました。知人にお借りして。
 ゆっくりでも三時間もあれば読めます。でも、中身は濃い。

 お二人の対談本です。短いスパンで、辛さんによる短からぬ解説──あるいは独り言(?)が入ります。
 京都生まれで、部落が出自の野中広務さん。東京生まれで、在日の辛淑玉さん。自身らの出自の差別のみならず、ハンセン病や日本の戦後未処理問題なども話題としています。

 部落民や“朝鮮人”差別については、おおまかに知ってる範囲ではあります。しかし、お二人あるいは特定の個人史となってくると、さらに重みが増してきます。「皇民」として(?)従軍した朝鮮人が、戦場で重障害を負っていても軍人年金を受けられなかったなど……。
 日本のリーダー論として、下記の辛さんの分析は的確だなーと思いました。

 一般に、日本の社会は、そのリーダーに政治的な思想性や時代に対する先見性を求めない。求められるのは、ムラの利益のために、けっして「恥を外にさらす」ことなく、かいがいしく人々の「世話」をしてまわることだ。そして、原理原則や公平さなどとは無関係に、とにかく「もめごとを処理する」こと。この延長線上に日本の政治がある。(P.43)

 フランスなんかじゃ、考えられないでしょうねぇ。ギャング/やくざ又はワンマン創業社長などならいいでしょうけど、首長や宰相がそれじゃねぇ。戦乱期の英雄王じゃないんだから……。

 野中さんもですが辛さんの個人史は、公けに見せるタフなパーソナリティからは意外(?)なほど悲痛でした。
 だがそれ以上に、辛さんが“日本人”の差別問題に尽力して成果を上げたとしても、その後に在日の差別問題にコミットし返してくれない──皆無ではないだろうが辛さんに匹敵するような論客/実無能力者などは──というのが、いわく言いがたいですねぇ……。

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2009年10月10日 (土)

格闘技死闘読本

Kakutoushitou 「格闘技死闘読本」(別冊宝島EX)を読みました。知人にお借りして。1994年に出たムックなんですけど(笑)。

 丁度この頃の格闘技界/人をあまり知らないので、興味深かったです。K-2GP──K-1に準ずる軽重量級の興行があったんですねぇ……。

 金泰泳さんのインタヴューを読んで、ファイト内容は余り知りませんけど──多分TVで観てると思うが──、人気があるというのが頷けました。その精神の自由闊達さは、同じく在日半島人の前田日明さんの鬱屈とは大きく異なりますねぇ(前田さんが悪いというわけではない。年代も違うしね)。このムックのみで現在の言動を知りませんけど、金泰泳さんを在日云々言う人は愚かだね。
 市原海樹さん(大道塾)へのインタヴューは、岩上安身さんが行ってました。「とくダネ!」コメンテーターを、長く務めてらっしゃる。岩上さんが大道塾空手をもってして(?)、チェチェンのゲリラたちと渡り合った──取材をでき得た(本当かよ!)というのは聞きかじってましたけど。
 黒澤浩樹さん(極真会館)は、リングスを「ロープに振らないから戻ってくるということがないだけで、プロレスでしょ?」と喝破しています。つまり、筋書きがあると。当時は総合格闘技(のルール)に否定的で、その後は自身も総合イヴェントに出てましたよね?確か。
 島山浩二さん(極真会館)て知らなかったけど、アマチャーの「武道家」として印象的でした。「武芸者」的な言動の市原海樹さんよりも。隻腕──利き腕(右腕)の肘から先を失いながらも、極真の全日本大会に出ていたという。「でも、ホントに良かったなって思うんですよ、片腕をなくして。」と笑って言ったんだそうな。

 当時はパンクラスと、前年に始まったK-1が牽引役ですかねぇ。UFCも、まだ二回行われただけで。「MMAルールの覇者が、無手格闘競技の覇者である」というコンセンサスも無く。
# 特定個人の資質は別として、ボックスの覇者が最強だと主張する人は、今時いないですよね?パンチの攻防技術が、MMAに絶対必要であるにしても……。

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2009年8月21日 (金)

雨ン中の、らくだ

Amennakanorakuda 立川志らく『雨ン中の、らくだ』(大田出版)を読みました。知人にお借りして。
 落語家が、半生と落語について綴った本。読了した時点では、顔と名前が一致してません(笑)。

 なるほど、文章に「リズム」があります。しかしスタンスは、いただけませんねぇ(笑)。出る杭は打たれる的な自負と、天狗になって鼻がへし折れる的なエピソードが、交互に語られます。
 でも、ほとんど知らない落語──「饅頭こわい」「目黒のさんま」のプロットぐらいしか──について、とても勉強になりました。落語の(中身ではなく)内容って、プロットのみなんですねぇ。

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2009年8月12日 (水)

闇狩り師 黄石公の犬

Kousekikou 夢枕獏『闇狩り師 黄石公(こうせきこう)の犬』(TOKUMA NOVELS)を読みました。
 前に紹介した小説家の、伝奇小説です。同シリーズ「21年ぶりの最新刊!!」だそうな(笑)。

 約240ページが、さくさくと二時間半で読めちゃいます。山間や釣など獏さんお得意の風景/情景描写・主役登場時の常套描写などで、どんどん進んじゃうので。でも、おもしろいけどね。
 イラストは、最新版『キマイラ』シリーズと同じく寺田克也さん。寺田さんらしい(?)濡れ場の挿画は、そうと言われなきゃ、生首を捧げ持ってるみたいだよ!(笑)

 1986年掲載の短編「媼(おう)」と、2000~2008年に連載された中長編の二篇が初収録。旧篇では三十代初めだったのが、新編では三十代半ばとなっています。
 九十九乱蔵がケータイまで使っていて、年数計算が合わないのは兎も角(楠みちはるワールドだね!)、耐水・耐衝撃は当然のヘヴィデューティ機種を使ってそうだなー。GPS付きだったりして(笑)

 獏さんの『キマイラ』ワールドで、生身の人間ながら最強かもしれない九十九乱蔵。その乱蔵が主役の『闇狩り師』シリーズは、前長編『崑崙(くろん)の王』までは、特に好きではありませんでした(妖美な短編、「蘭陵王(らりょうおう)」を除いて)。物語も乱蔵も、あっさり淡白気味だったので。「媼」も、まあそんな感じ。
 しかし「黄石公の犬」は、さほど長くないながら緩急も転調もあり良かったです。グロテスク場面も濡れ場も、旧篇より安心して読めたし(笑)。

 九十九乱蔵は、身長2m超・体重145kg。その偉躯をして、中国武術ベースの体術使い。武器使いに素手で応じても、めったなことでは遅れをとらない。
 しかし本業は、祟られ屋にして拝み屋。自身の霊的体質を利用し、霊を引き寄せトラブルを解決する。と言いつつも、ある種の何でも屋であった。
 そんな乱蔵に、「犬憑き」となった女性の息子から依頼が入る。母親が復習のために、「お犬さま」をやったのではないかという──。
 乱蔵は、犬とも人ともつかない妖かしと対峙する……。

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2009年8月 2日 (日)

愛国と米国

Aikokutobeikoku 鈴木邦男『愛国と米国』(平凡社新書)を読みました。
 前に紹介した作家の、最新書き下ろしです。

 日本を愛する際の、アメリカとの関わりについて考えた本です。戦中(開戦前)に始まり、未来に向けての。
 いきなり結論を示さず、思考の道筋──論理の道筋ではなく──が書かれてるのが良いですね。ものの見方/考え方など、為になります。

●アメリカの目論見と、イラクの現状
 フセイン政権イラクは、独裁国家であった。(クルド人弾圧を始め)非道なことをしていた。しかし経済制裁下にあっても、おおむね安定した物資および治安がある社会だった。だがイラク戦争後は──フセインの重石が取れた後は、内戦にも等しい状態である。五年以上が過ぎても。
 真の動機は兎も角、現状もアメリカが望んだものではないだろう。(冷戦時代に共産圏拡大を防ぐため、アメリカがラテン・アメリカ諸国などの民主的左翼政権を転覆させ、擁立した独裁政権が国をめちゃくちゃにしても知らん顔。という時代とは違って)人権問題は、もはや国内問題として閉じていない。しかしそれは、国外から暴力ずくで解決できるものではない(急速に拡大した、大規模な民族浄化などは除く)。
 それらのことがイラク戦争直前にバクダッドを訪れた目から、平易に語られています。「僕らが行った時、フセインの悪口を言う自由はなかった。ただし、それ以外の自由は全てあると思った。」などと。
●昭和天皇を敬愛するから、戦争責任について考える
 最終的には降伏を決断し、なおかつ対アメリカ開戦を望んでいなかったのに、なぜ昭和天皇は戦争を止めなかったか?それは、(“英明な親政”を行わない)立憲君主という立場をもって任じていたから。どのような閣議決定も認めるが、終戦に際しては決まらなかったので決断したという──。
 それゆえに、自分を(文言上も)完全な象徴元首へと降下させる新憲法を認め発効させたのも、昭和天皇であると。戦争責任については、各自が推せということかしら?
●戦前から「親米愛国」の赤尾敏
 好き好きアメリカではないが、「反共(産主義)」であるがゆえに「親米」。その主張を戦前の国会議員時代から終生一貫させていたのが、赤尾敏さんだそう。
 「反米愛国」のバリバリ新右翼だった(である?)著者は、赤尾さんに怒られたそうな(笑)。
●自衛隊は、「現在の日本」を護りなさい
 過去の日本が侵略国家であろうがなかろうが、(守る対象が)愛国者であろうがなかろうが、「現在の日本」住民を護るのが自衛隊の本分である。(誇りを持つとは、そういうことであろう)
●日本共産化への恐怖
 その甚大な恐怖は、いまからは想像しにくいですねぇ。チャイナ報道を見たり、ノース・コーリアの現状を漏れ聞いたとしても。冷戦が激しい頃、それはそれは恐怖だったと……。(逆──共産化(社会主義化?)への熱望もね)

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2009年7月27日 (月)

機甲戦の理論と歴史

Strategysb10  葛原和三『機甲戦の理論と歴史』(ストラテジー選書)を読みました。「東長崎機関」で、神博行さんが推奨していたので。戦車ファンじゃないけどね(笑)。

戦車ファンなら読め!!『機甲戦の理論と歴史』 - なんとなく読書感想文 - 東長崎機関
http://www.higashi-nagasaki.com/d_r/dr2008_075.html

 なるほど、素晴らしい。『銀河英雄伝説』を読んで/観て「用兵」に興味を感じるような方なら、知的興奮をもって楽しく読めるはず。
 また軍は、規律を重んじる──(文字通り)自他の生死存亡がかかった任務の性質ゆえに命令遵守が基本的には絶対で、硬直化・保守化が起こりやすい組織である(らしい)。しかし時々刻々かつ時代と共に変化する状況──もちろん時間軸上の相違だけではない──に、小~大の目標達成の為に柔軟に対応しなければならない。そのような組織の弊害に対処する、編組・運営などのエッセンスに興味を持つような方にも。(経営的な読み替えを促すような、直接的な記述は無いが)

 「機甲」は、普段は耳にしない用語ですね。(わたしのような)少しく軍事を知ってる者なら、機甲部隊って「戦車」中心の部隊?、ぐらいに思うでしょう。
 機甲は「装甲機械化」の略称とも言われ、「機動」と「防御力(≒火力)」を兼ね備えることだそう。機動とは、相手(敵)に対する目的を持った相対的な運動のこと。(物理的・主観的に)自在に動くだけでは、機動とは言わない。それゆえ典型的な機動は、「迂回」であると。
 機甲戦←火力戦(銃砲)←機動戦(騎兵)←格闘戦(歩兵)と更新されて──時には前後して──きた陸上戦力を概観し、最初に機甲戦の意義を整理しています。他にも一般的な用語でありながら、使用意味合いが異なる「持久戦」「決戦」などについても。(「断固たる怒涛の攻撃」のような、精神論的な記述は皆無)
 戦力の更新とともに命令形態も、訓令(達成すべき任務を設定し、それにいたる過程の実現手段は部隊指揮官に任せる)←命令(詳細に行動内容を指示し、遠隔地に行かせる)←号令(戦場での直接行動指示)と更新されてきた(もちろん、号令・命令も無くなりはしない)。そこで、「ドクトリン」が登場し、下記のごとく引用説明がされています。

 「ドクトリン」は、「軍隊あるいは軍の部隊が国家目標の達成に関わるに際して、その行動の指針となるべき基本的な原則である。権威あるも適用に際しては判断を要す」(『米国防省用語辞典』)と定義されている。この注意書きに書かれているように、戦術教義やドクトリンは、決して「教条(ドグマ)」(dogma)とならないよう硬直化を戒め、絶えず改革し続けるよう努力することが保守的になりやすい軍人にとって極めて重要なのである。(P.20)

 以上ぐらいが序説。以下、ナポレオン一世より後の近代ヨーロッパ(アメリカ、ロシア──ソヴェト連邦を含む)の陸戦史から、機甲戦の発生・発達にいたる過程を概説しています。ドイツ(←プロイセン)の「電撃戦」・ソヴェト連邦の「縦深戦略」の両理論の成立および発展の過程が、とりわけ重んじられ。
 世界初の戦車マークIの実戦投入(1916)はイギリスで、現在の戦車の原型ルノーFT(1917年)はフランスが作ったそうですけどね。その「現在の戦車」とは、「直射火砲を搭載した旋回砲塔を有する装甲した装軌式の戦闘車両」と定義されています。
 「直射火砲」とは、弾道が直線的な火砲のこと。放物線を描く「曲射砲」──目標よりも上向きに発射して遠方に弧を描いて命中させる──ではなく。「直射」の理由は貫通力を優先するためで、砲身が長いのも発射速度を増すためだそう(滑空砲でもそうなの?)。「装軌式」とは、無限軌道──いわゆるキャタピラー式のこと。

 大戦後の戦車──メカニック及び戦車戦闘に関しては、やはりイスラエルが興味深いですね。運用思想──乗員の人命最優先で作られた構造ゆえに、「走る保険会社」と言われているらしい非コンヴェンショナルな「メルカバ」戦車。典型的な「内線」事情──前大戦までの近現代ドイツにも通じる国勢──など……。
 近現代の日本の機甲部隊についても、それぞれ発足までと変遷について、もちろん多く述べられています。著者は、戦車部隊出身の陸自の方だそうですから……(現職は、研究・教育方面)。

# 日本降伏後の8月18日、北海道へと千島沿いに向かおうとするソヴェト軍を、復員準備中の陸軍戦車部隊が撃退してたとは知らなかったよ!恐るべし「縦深戦略」!(違うか)

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2009年7月11日 (土)

インテリジェンス人生相談

Intelligencesoudan2Intelligencesoudan1 佐藤優『インテリジェンス人生相談─個人編&社会編─』(扶桑社)を読みました。知人にお借りして。
 前に紹介した作家が、文章(および一部は電話)で寄せられた相談に答えたものです。

 雑誌「SPA!」連載から80+3本を収録したものですが、加えての直接電話相談の20本は初出だそう。
 これまでの著書どおり、「インテリジェンス」は「情報」の意。相談文言という限られた「情報」に基づいて情勢判断し、最善策・次善の策……を導き出すという。
 読みやすく、ゆっくりでも一冊につき三時間ぐらいかしら。でも示唆に富んでいて、広い切っ掛けになり得る本。ほとんどの回で本人により、古今東西の本が引き合いに出されています。

 にこりともしないユーモア──(笑)など絶対に使わない──は、相変わらず。男性誌の人生相談フォーマットに則ってか──女性相談者もいたが──、「ヌききってから考え直せ」式の回答──で終わらないけど──も多々。ヴァリエーションで、「ウォトカを飲んでから~」なども。
 形而上の問題から下半身の悩みまで、糞まじめ且つアクロバティックに──32歳の家業手伝い女性に「大学図書館で男を引っ掛けろ」とか──、説得力ある(?)実践的な回答が為されています。

 「タマの大きい奴は性欲が強い」「人の優しさのタンク容積は決まっている」「運は外側からやってくる」「性格の偏りは直せない」なる旨の俗流言説が見受けられますが、それでもいいのです。現実の情報分析は定式のみならず、そういう世間知(?)をも含むものですから。神学部出身で哲学・論理学を学ばれてたようですが、そういう学者ではないのだし。
 そして中村うさぎさんを、「同志社大学の尊敬する先輩」として何度か引き合いに出していました(笑)。

# 「ドメバイ」って、一瞬「ドバイ」かと思ったよ!そんな略し方、初めて聞いた。

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2009年6月 7日 (日)

人間の未来

Ningennomirai 竹田青嗣『人間の未来──ヘーゲル哲学と現代資本主義』(ちくま新書)を読みました。

 これはいい!示唆に富んでいます。「事そのもの」論は、ピンと来なかったけど。
 そして、環境問題──資源・人口・食料問題を含む──を「普遍闘争状態」(万人の万人に対する戦争)への退行と結び付けて語る権威ある(?)学者さんに、初めてお目にかかりました。原田憲一『地球について 環境危機・資源枯渇と人類の未来』(国際書院,1990年)を読んで以来、物質文化の衰退が非物質文化の果実──「自由の普遍化」を最たるものとする──の放棄にも繋がる自明の理を、なぜ誰も言わないのか不思議だったのですが……。(自明だから?言っても、どうしようもないと?それとも、誰か言っていた?)
 とまあ、文字通りの未来については、終章の記述のみ。大半は、近代国家を正当化する「原理」の掴みなおし。ホッブズ(普遍闘争原理)に始まりルソー(一般意思契約)を経て、ヘーゲル(自由の相互承認)に至る。マルクスの考察は、民主主義・資本主義の“現状の矛盾”に対する分析・批判としては的を得ていたが、原理に対してのそれは本末転倒であったと。ポストモダン思想(反国家、反資本主義、反近代、反ヨーロッパ文明などなど)については、マルクスにも遠く及ばないと。

 著者によれば、「普遍性のゲーム」が哲学であると。哲学が全ての学問の母体であるのは、その手法から出発し分化したからだと。「普遍性のゲーム」とは「ただ一つの真理」を“発見する”ものではなく、より普遍的な「原理」を模索していく、終わりの無いゲームであると。共同体──宗教・民族などで閉じた集団を越えていくのが、哲学であると。
 そういう意味では、現在の学術=ヨーロッパ文明を「普遍性のゲーム」の中で再検討する意義はある。しかし“現状の矛盾”から帰納してヨーロッパ文明の「原理」が無効であるとするのは、「普遍性のゲーム」への参加・勝ち残りを経ない、普遍性への鍛えを欠いたものであると。著者は、下記のように書いています。

 たしかに、非ヨーロッパ的国家や宗教的国家は、それ自身の存在理由をもって現に存在している。また、これらの国家を外部からヨーロッパ化しようとする考えは、愚かしく無意味である。しかしそれらが、近代の理念を“超克”しうる可能性を持つかのように考えるのははなはだしい錯誤である。(P.265)

 資本主義の原理「普遍交換─普遍分業─普遍消費」をもってのみ、「自由の普遍化」への道が開かれた。近代国家と資本主義の相互作用により、近代国家(理念に裏打ちされた、国家内および国家間)の“暴力による”「普遍闘争状態」は“ほぼ”脱せられた。しかし全国家間(および国家内)のそれは未だ成らず、“経済による”「普遍闘争状態」に退行せんばかりの現状。
 近代国家の掴みなおしにより、資本主義の普遍化への道──「一般意思契約」と「自由相互承認」か?──は開けるのだろうか?

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2009年6月 5日 (金)

MM9

Mm9 山本弘『MM9』(東京創元社)を読みました。知人にお借りして。
 著者は、と学会長でもあるそうな。

 作品内の「気特対」──気象庁特異生物対策本部が「科特隊」の“もじり”であることに、最後の最後まで気づきませんでした(笑)。
 「X」とカイと読ませるのは分かりましたけど──カワサキZEPHYRχ(ゼファー・カイ)を知ってるから──、その先は分かりませんでしたし。

 SFらしいSFですね。ドラマ・物語というよりも──決して疎かにされてはいないが──、新規/珍奇な仮説/定説に基づいて思考実験的であるという──。
 この小説が基づく理論は、「人間原理」。終盤で言及される「観測問題」──いわゆる「シュレーディンガーの猫」ね──に、相通ずるところがある。
 しかし「人間原理」は、「インテリジェント・デザイン」のごとく人間中心主義的に見えてしまう。ファンタジーや伝奇で補強として用いるなら気にならないが──奈須きのこ『月姫』『Fate』などにおける魔法やサーヴァント・システムのごとく──、SFでは違和感をおぼえる……。

 まあ、精緻な与太話として楽しめたけど。でも“その世界”の現代日本に自衛隊が存在するのは、ちょっと腑に落ちない。“その世界”の歴史は、怪獣災害を除いて“この世界”とほぼ同じであったらしい。巨大怪獣もいる“その世界”で、日本が自衛隊創設にいたる道筋──アメリカ宣戦から敗戦・武装解除に至る──を辿り得たのだろうか?、と……。作品内で、在日アメリカ軍に触れられてない(?)し……。
 しかし、終盤を読んで納得しました。「第五期の世界」──“未来の世界の歴史”が、「第四期の世界」に遡及していたわけね。

 怪獣という「神話世界」の住人が、“まだ”存在している地球。そして現代日本。世界中に怪獣が出没するのであるが、人口密度その他から、日本は世界トップクラスの怪獣災害国であった。
 怪獣の出現を予測し、発見したら観測し、引き起こすであろう災害規模(MM=モンスター・マグニチュード0~9)が大きいと判断した場合は、避難指示・(自衛隊を指示しての)怪獣駆除などを行う。それが、気象庁特異生物対策本部。略称「気特対」であった──。

# 全裸巨人というと高遠るい『ミカるんX』が思い出されますが、少女というより女児なので、尾玉なみえ『純情パイン』の「みちよ」エピソードの方が近しいですね(笑)。

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2009年5月31日 (日)

魔王 秋山成勲

Maouakiyama 田中太陽『魔王 秋山成勲 二つの祖国を持つ男』(kamipro books)を読みました。知人にお借りして。
 秋山さん、今年、モデルのSHIHOさんと結婚されました(笑)。超一流(?)の元・柔道競技者で、現在は総合格闘家の方ですね。

 すごく興味深かった。秋山さんに、そんなに興味なかったんですけど。
 在日韓国人(四世)として育ち、二十代半ばで韓国に渡りオリンピック柔道代表を目指すも叶わず、数年後に日本に戻り帰化して再度オリンピック柔道代表を目指すも叶わず、総合格闘家に転進して一般に認知されだす。そして2006・2007年末日に、大きな遺恨を残す無効試合を演じた──。それぐらいの、通り一遍のことは知ってましたが……(その二試合は、地上波TVで観た)。

 公平たらんと──対象人物を深く知ろうと書かれた、その姿勢が素晴らしい。ルポルタージュとしては当たり前だけど、それが中々ねぇ……。
 現役者を対象としたルポルタージュですが、本人には直接取材していません。本人どころか、“日本の関係者”にも(笑)。直接取材したのは、韓国における四人(+α)のみ。他は日韓での本人発言・発表資料(印刷/放送媒体)を参照し、それらと推測を峻別して、秋山さん自身への考察を深めています。
 つまり情報分析の王道を行っていて、一般情報の収集・分析から特殊事情を導き出し、見えないもの・語られなかったことをあぶりだしています。

 韓国での取材相手は、秋山さんの味方的存在──韓国柔道時代以降の“立場”に好意的・同情的・中立的な方々。ソウル五輪金メダリスト、同世代の一流柔道家、秋山さんが属した実業団チーム監督、格闘技フリークの大学教授(笑)。
 三人の柔道関係者が味方なのは、秋山さんと同じく韓国柔道界の「学閥差別」を受けた側だからだそう。協会重職が一大学でほぼ独占されていて、試合判定・代表選考などであからさまな差別が行われていた(いる?)からだという──。
 そのような柔道界事情に加えて、認識の差はあれ、韓国における在日韓国人差別についても語られています。中立的かつ知識人でもある大学教授──姜尚中さん(日本のスター学者)顔負けの見識者である──は、なおさら忌憚なく、日韓事情についても的確に分析しています。
 韓国でも某大学「学閥」者に取材できておらず(?)、対象者選別は偏っています。しかし特殊事情から韓国一般事情までをあぶりだし、なおかつ秋山さんの特殊性をあぶりだしていってます。
 加えて興味深かったのは、三崎さん(2007年末日の対戦相手)への非難。ほぼ中立的なお二方(同世代柔道家と大学教授)も、かなり憤慨なさってます。「四点キック」疑惑は兎も角、試合後リングでの「マイク・パフォーマンス」に。わたしは、おっちょこちょいで意味不明な面白くもないこと喋ってるなー、ぐらいにしか感じなかったけど。日本で三崎さんの言動が重大視されないのは、競技者・興行出演者としては兎も角、あまりスタートして重きを置かれていないからでしょう。つまり、秋山さんとは格が違うからだと思うのですが……。

 ことほど左様に、秋山さんの格闘技術に触れるのは二の次・三の次(笑)。
 例外は、回転のムーヴ──ローキックやタックルをかわすぐらいかしら?それは柔道競技者時代から、足払いがわしなどに使われていたんだそうな。

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2009年5月27日 (水)

仮面ライダー 1971-1973

Maskedrider 和智正喜『仮面ライダー 1971-1973』(エンターブレイン)を読みました。書き下ろしの第三部「流星1973」のみを、ようやくにして。(GW前にだけど)
 元々は、やずみさんの紹介により存在を知りました。旧版も、今回の合本も。

 プロローグは、幻想的な少女の夢。続く第一章は、一転して弩迫力の戦闘シーン。いいですねぇ。
 夢の内容と少女たち──超常能力者たちの登場からして、もっと皮肉な展開を辿るのかと思いました。後に予言(預言?)されるように、少女たちが「天使たち」と化す様な。

 <彼>の在り様は、やや厚みに欠けるかしら。タイムスケール的に。思考実験的にも、『装甲騎兵ボトムズ』やアジモフ『ファウンデーション』シリーズなどと比べて。
 正体が“それ”であるならば、あるいは諸星大二郎さんの漫画で描かれた“おどろおどろしさ・いかがわしさ”の方が、ショッカーに相応しかったかも。

 まあ、過度に捻らないストレート且つリアルなハードコアさが、本シリーズの美質でありましたね。余韻の残る結末と合わせて。

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2009年5月 3日 (日)

犬儒派だもの

Kyniker 呉智英(くれともふさ)『犬儒派だもの』(双葉文庫)を読みました。知人にお借りして。

 呉さんの本、初めて読みました。短いコラムなどは、いままで目にしてきましたけど。
 この本は、そんなコラムなど──雑誌・新聞・ムック等の記事やら他著者本に寄せた解説やら──から集成したものです。
 細かい部分で共鳴・感心することはあっても、総体としてはどうでもいい人かしら(笑)。いままでも(※)、この一冊を読んだ後でも。飯島愛さんのような、「自嘲はするけど、嘲笑は許さない」的な人に見えます。

 「アジト」は「アジテーション・ポイント」の略であって、「根城」の意味ではないんですと。へー(笑)。(手持ちの広辞苑には、「agitating pointから。agitpunkt(ロシア語)の略とも」と記載)
 呉さんは、中華人民共和国を「史那」と──“しな”からIME2003で変換されず驚き!──呼び続けているそうな。学生時代から。わたしは世間話では、「チャイナ」と言うのが多いですね。中国とも史那とも呼びたくないので。グレート・ブリテンではなく「連合王国」と呼び(UKじゃ、すかしてるし)、英語ではなく「イギリス語」と言う様に(?)。
 タバコについてのコラムでは、豪快さんの缶ピース話──缶ごと口にくわえて着火し気絶する豪快紫煙車(笑)──を思い出しました。

※昔の新聞コラムで、禿げを「HG(ハーゲー)」とドイツ風(?)に呼称していたのには、いたく感心しました。年若い頃から、早く禿げたかったんですと(笑)。

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2009年5月 1日 (金)

失敗の愛国心

Shippaiaikokushin 鈴木邦男『失敗の愛国心』(よりみちパン!セ)を読みました。知人にお借りして。
 「よりみちパン!セ」とは、理論社YA新書(中学生以上向け)のこと。鈴木さんの著書は、読むの三冊目。週刊コラムは、下記サイトで読んでますけど(毎週月曜更新)。

鈴木邦男をぶっとばせ!
http://kunyon.com/

 あらためて、興味深かった。文章は、いつもの通り。短い、平易な文章で書き連ねる。主張も、いつもの通り。自分の半生と絡めて、より分かりやすいけど。

 新鮮に感じたのは、戦後“日本の右翼”──他称で自分らは中心と思っていた──の当初の定義。“天皇は絶対に戴き”、なおかつ反共──“暴力に訴えてでも”自由を擁護しようという。
 そうすると現在の薄い“自称右翼”たち──ネット右翼などは、いずれも当てはまらないですねぇ。反チャイナや反ノース・コーリアは、いまや反共とは違うし……。まあ戦後は、反共=反全体主義かもしれませんけど。でも“自称右翼”たちは、日本の過去──大日本帝国にも舌鋒鋭くないよなあ……。

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2009年4月20日 (月)

鉄のエルフ 2赤い星

Theironelves1_2 クリス・エヴァンス/月岡小穂(訳)『鉄(くろがね)のエルフ 2赤い星』(ハヤカワ文庫FT)を読みました。
 前に紹介した小説の最新巻です。

 おもしろい!前巻と合わせて本来一冊とあってか、本巻にクライマックスが来ています。
 うたい文句どおりのミリタリー・ファンタジーであり、どちらの要素も良いです(どちらも、詳しくないけど)。自然科学・魔法それぞれに可不可があって、一方が一方を駆逐することは出来ない様子。したがって、弾道を魔法で曲げたりはしません。

 主役の青年男性コノワ(エルフ)と準主役の青年女性ヴィジーナ(エルフキナ)は、前巻よりも出番が減っています。ひるがえって兵卒たちの一分隊──偵察に先遣された──を丹念に描写するような、群像劇性が増しています。前巻では、主役二人の恋の鞘当て(笑)を楽しめたのに。でも本巻では、ほとんど進展せず。
 いがみ合う人物相関が多く、好意・敬意を抱きあう人たちさえ、しがらみ等により対立しあう。加えて、<鉄のエルフ隊>が迎える皮肉な運命。続きが、ますます楽しみです(日本語版が出るのは、来年かしら?)。

 表向きの<鉄のエルフ隊>の目的は、反カラル帝国である北方エルフキナ勢力をたたくこと。しかし北方に近づくにつれ、<影の女王>の兆候が色濃くなる。そこで目的地の砦へ、偵察隊を送ることにする。
 後進する本隊には、北方エルフキナ勢力が迫ってくる。そして、偵察隊と合流することなく目的地へと着いてしまう。砦で迎え撃つ<鉄のエルフ隊>。
 さらに現れる第四の勢力。<鉄のエルフ隊>は、表裏の目的を果たせるのか──。

 表紙絵は、おそらくヴィジーナ。耳が、エルフのように尖ってますね。前巻を読んで、精悍な大人っぽい感じを想像してましたけど……(笑)。

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2009年4月 5日 (日)

鉄のエルフ 1炎の鍛えた闇

Theironelves1_1 クリス・エヴァンス/月岡小穂(訳)『鉄(くろがね)のエルフ 1炎の鍛えた闇』(ハヤカワ文庫FT)を読みました。
 “未知”の作家の“小説”を“自ら選んで”読むのは、四年半ぶりぐらい(笑)。(※)

われらは何も恐れない、われらは<鉄のエルフ隊>!

 架空世界/歴史の興味深さ・娯楽性ともに飛びぬけてはいませんが、続刊も読みたいと感じました。主役登場までの約三十ページは、陰鬱として気が滅入りましたけど(笑)。
 本書は、『The Iron Elves』三部作の一作目の前半。後半は、四月刊行だそう。本家の二作目は、七月にアメリカで刊行予定だそうな。

 「剣と魔法」ならぬ、銃剣(マスケット)と魔法の世界。マスケットとは、先込め式の歩兵銃だそう。弾を込めた後に、棒を突っ込んでぐじぐじするあれ。
 物語の構図は、類型的な善悪対立ファンタジー。強力な<影の女王>が復活し、呪われた刻印を生まれ持つ主役が立ち向かうという──。おなじみのエルフやドワーフに加え、「エルフキナ」という人間に近い中間(?)の種族も共存しています。
 主役のコノワは、二十台半ば(?)のエルフの青年男性。この世界のエルフが、極端に長命か否かは不明。通常のエルフたちは、人間の大陸(?)とは隔たった、海の向こうのヒンタで暮らしています。<永遠(とわ)の見張り>として。
 人間の帝国カラルは、ローマ帝国のような統治形態かしら。配下に収めた領地に、総督を置いているので。現在は女帝で、皇太子は男性。
 本巻では、組織的な戦闘シーン──マスケットを装備した部隊による──はありません。出だしとあってか。まあ魔物らを相手としては、軍事的な戦術も無いかもしれませんが。

 出自その他により、ヒンタから出帆したコロナ。人間のカラル帝国軍に入ったコロナは、同じような立場のエルフのみを集めた<鉄のエルフ隊>の隊長となる。異種族ゆえか、なおさらに鬼神のごとく働いた隊。しかし隊は、一年前に解散させられていた。コロナが大エルフキナ保護領の総督であった“エルフ”を、独断により誅殺したために。前総督は、裏で<影の女王>にも仕えていたのだ。
 自身も追放されたコロナは、人目を避け、森の中で独り悪戦苦闘していた。通常のエルフならば、森──樹木と親しく通じ合うのであるが……。
 やがて、世界に<影の女王>復活の兆候が現れる。そしてコロナに、再結成される<鉄のエルフ隊>への復帰が促される。森へとコロナを探しに来たヴィジーナは、年若きエルフキナの魔法使い──エルフキナの一州の長官の娘であった。人間に近いエルフキナであるが、コロナとは対照的に魔法を能くするようだ。
 しかし新生<鉄のエルフ隊>は、名ばかりの寄せ集めであった。エルフは僅か数人で、人間を中心に一人のドワーフを加えた(エルフキナはいない?)。隊再結成の意図も不明瞭なまま──表向きの意図やコロナたちの意思は別として──、エルフキナ北方の砦へと進軍を始めた隊。治療師その他として、ヴィジーナも同行して……。

※四年半前に読んだのが、朝日ソノラマ文庫版の藤崎慎吾『蛍女』(処分済み)。その前は、約五年前のセリーヌ『夜の果てへの旅』(怪作!)。更に前は、六年弱前の谷川流『涼宮ハ○ヒの憂鬱』(処分済み。第一刷りだった!)。
 完全に「小説読み」ではありませんね。「漫画読み」でもないけど、さらに酷い(笑)。

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2009年3月29日 (日)

歴史と外交

Rekishitogaikou 東郷和彦『歴史と外交──靖国・アジア・東京裁判』(講談社現代新書)を読みました。
 東郷さんは元外交官。外務省で局長などを歴任し、オランダ大使を最後に2002年に退職した。親子三代外交官で、祖父は対アメリカ開/終戦時の外務大臣だったそうな。

 前に紹介した佐藤優『国家の罠』で、東郷さんが親分として慕われてました。それで興味を持ちました。
 しかし、長く努めた対ソヴェト/ロシア外交や、外交官実務の機微についてなどはあまり触れていません。タイトルにあるとおり、戦後日本の広範な歴史・外交問題となっている事案について、理論的・実際的に考察しています。日本人の問題として。

 靖国については、国内向けの精妙な理論・解釈に、対外的な普遍性は無いという分析。国家神道の中心から民間組織へと変わった靖国神社と、国家・政府の関わり。合祀の解釈などなど……。
 しかし、国内向けの精妙な心情、海外の繊細かつ普遍的な心情、どちらも無視して良いものではないと。

 慰安婦問題で当事国ではないアメリカ・ヨーロッパなど──オランダなど当事国もあるが──が黙っていないのは、「非歴史的」な問題だと認識されているからだと説明。「当時の常識に照らせば……」「他の国だって……」などは、言っては駄目なんだそうな。
 植民地問題は、違うのかしらねぇ……。

 ご自分の外交機微は書いてませんけど、祖父のこともあり、対アメリカ開/終戦時については少なからず書いています。いわゆるハル・ノートへの対応。ヤルタ・ポツダム両会談における対日政策についての、ソヴェト・アメリカの裏側の思惑。日本降伏についての対アメリカ交渉。などなど……。

 東京裁判については、その正当性・意義などを、功罪両面から書いてます。しかし学問的・普遍的理念に照らしてどうであれ、日本政府は“それ”──譴責/免責を国際的に受け入れた上で、今日までの“戦後”を築いてきたのだと。
 だから、少なくとも政府・国家に近い人間は、それを否定する言を吐いてはならないと──。

 いずれにしろ極端・過激に走りがちな諸問題について、たたき台になるような──両翼から叩かれてしまうような──落ち着いた考察でした。

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2009年3月21日 (土)

真説宮本武蔵

Truemusashi 司馬遼太郎『真説宮本武蔵』(講談社文庫)を読みました。知人にお借りして。
 司馬作品は『項羽と劉邦』の上巻(確か全三巻)を、途中で読むのを止めた中学生以来の二冊目(笑)。

 武蔵を含む六人の剣客を題材とした、戦国から幕末までの短編小説集。半ばエッセイでもある。
 鍛錬や剣戟を主とする、剣豪小説ではありません。戦国の世から既に、戦場の技術とは乖離していた──と同書では言う──“兵法”(一対一の剣戟&組み打ち?)。そんな兵法をもって何をしようとしたか・どんな人間に成り果てたかなどを、兵法をめぐる各々の時代/地域性の中で描いた小説です。

 同書で著者も言うように、諸説ある歴史資料から面白いものを選び取って、足りない部分は想像して書くのが歴史小説。その辺を割り引いても、興味深い内容もありました。
 北辰一刀流──「千葉周作」では、技術体系・組織の合理化・近代化や、流派を立てて興隆させる政治力などが描かれていました。後の嘉納治五郎(柔道)を思わせるような。
 リアル吉岡兄弟(?)──「京の剣客」のような、精神主義的なのはあんまり……。

 「真説宮本武蔵」では、半ば妄執の人として描かれています。兵法“者”・芸術家・文章家として天才を開花させながらも、生存中には、野望に釣り合う地位・名声を得られなかった人物として──。
 我流の兵法は武蔵にしか能くし得ず、流派としては大成させえない。「兵法は戦さの芸ではない。」にも関わらず、「ただ刀術をもって城を攻め」取ろうとした──武士として栄達しようとした──道化として……。
 『五輪書』は昔に読んだけど──カール・ゴッチが愛読していると知って(笑)──、お金の話しか分かりませんでした。金の亡者になるなっていうのと、でも金の余裕が少しも無ければしたいことも出来ない──成りたい自分に成れないっていう(笑)。

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2009年3月 1日 (日)

国家の罠

Kokkanowana 佐藤優『国家の罠─外務省のラスプーチンと呼ばれて─』(新潮文庫)を読みました。知人にお借りして。
 2005年3月に出た単行本が、2007年11月に文庫化されたものです。30ページの新たな後書きと、川上弘美さんによる新たな解説が付加されています(旧後書きも収録)。

 鈴木宗男さんへの先触れとして(?)2002年に逮捕された当時、“現役”外交官だった佐藤優さん。佐藤さんの文章は切れ切れに目にしてましたが、まとまった本として読むのは初めて。
 後半分は、ほとんどが約一年五ヶ月に及んだ拘置所内でのこと。日常生活・検察官の取調べ・自身の思索についてなど。
 前半分は、それまでのことを少しく時間を前後させながら書いています。ソヴェト連邦クーデター前後からプーチン大統領就任前後ぐらいまでの、ロシア情勢・対ロシア外交など。田中眞紀子さんが、外務大臣となってから更迭されるまで。著者の最大目標であった2000年までの北方領土返還のための、国内外における外交活動。以上の全てに関わる、鈴木宗男さんとの連携。などなど。

 無学者(わたし)が読む限り、前提(事実認識)と結果(行動)の間に齟齬は見い出せません。前提自体も、きわめて明解。明解すぎて(ロシア情報入手に絡んで)イスラエルについて触れる時に、言い訳がましくパレスチナ問題に言及したりしません。
 まあ、(稚拙ではない)嘘をつく・(不整合となる嘘は言わないけど)都合の悪い事は言わない旨は自ら書いてるので、読み手が弁別しないといけませんね。つまみ食いしないと(笑)。

 くだけたところでは、拘置所に関する細々などが興味深いですね。入所時の直腸検査は、実際はどうであるかとか(笑)。
 そういう風に、まじめな顔でジョークも入れるような文体。かつての仲間の背信も、相応以上に追い込まれたなど事情があれば斟酌する寛容さ(?)。それだけに、斟酌しようが無い(?)袴田茂樹さん(青山学院大学教授)の背信には、(著者にしては)辛辣な弾劾をなさっています。最近の、小林よしのりさんに対するような?

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2009年2月 8日 (日)

銀河物理学入門

Gingabutsurigaku  祖父江義明『銀河物理学入門』(ブルーバックス)を読みました。副題は、「銀河の形成と宇宙進化の謎を解く」。

 宇宙における生命の観測例は、ただ一例しかない。地球に存在する私たち自身である。一つしかない観測例を万物に敷衍(ふえん)するのが、天文学である。唯一無二の天文現象というものは、いまだかつて存在しない。一つの事象が発見されると、必ず二例、三例が続き、大抵は一般的な天体現象として認知される。(P.91)

 タイトルどおり銀河──われわれの銀河系(天の川銀河)を主とし、身体測定や誕生から行き着く姿までを記した本。身体測定が長いかなと思うけど、興味深し。
 しかし本書の白眉は、上記引用部を含む「銀河文明」──「銀河図書館」についての記述じゃないかしら。

 前に紹介した佐藤勝彦『宇宙論入門』では、リース卿の「知的生命体の社会はある段階で不安定となり自滅する」という説に組みしていました。知的生命体は(種としてではなく惑星文明として)自滅可能になってから、およそ百年で自滅してしまうのではないかと。つまり、異なる知的生命・文明が接しあうことは不可能ではないかという──。
 ひるがえって本著者は、より楽観的な立場に組みしています。星間の文明伝播は電波により行われ、少なくとも一千年間(電波送受信・解析を行える)一定以上の技術文明を持続させられれば、星間文明に参画できるのではないかと。
 恒星の八割は、連星(二重星)である。残り二割すべてに、知的生命が生まれ一定以上の技術文明が一千年は持続するとする。銀河系の現年齢をざっと百億年とすると、同時期に存在する惑星文明数は、およそ二千になると。(パラメーターは著者で、公式はフランク・ドレークのだそう)
 なぜ「少なくとも一千年間」なのかと言うと、電波ノイズに埋もれない有意な電波が届く範囲が数千光年だからだそうな。わが太陽系は銀河系中心部と比べて比較的田舎なので、直径一千光年範囲内には、上記計算による同時存在惑星文明数は数個しかないそう。
 それぞれの惑星図書館(惑星文明)の重なりあいから、網の目状の繋がりにより文明が伝播する。銀河系中心部では実時間(一生命が生きてる間)での交信が可能であったり、太陽系あたりでは不可能であったりと、密度差は存在する。しかし、銀河規模の銀河図書館として、銀河文明が成立するのではないかと──。
 人類も技術文明を持続させられれば、銀河文明を享受し、さらに貢献できるのではないかとの由。

 ほかには、渦状銀河の“腕”は何かや、パーセック(距離の単位)の意味(いまさら!)などが興味深かったです。

 1パーセック=3.26光年。1パーセックとは、1天文単位(太陽と地球の平均距離)を底辺として三角測量を行う場合、頂角が一秒(1/3600度)となる地点までの距離のこと。
 つまり、パーセックは「毎秒」なんですね。

 渦状銀河(銀河系やアンドロメダなど)の“腕”──星の渦がそのまま回転してるわけではないというのは、軽く聞きかじっていました。銀河円盤を伝わる、波により生じているというぐらいには。
 星々の密度差により重力から密度波が生じ、銀河円盤の回転(内周でも外周でも一定)よりも遅く渦巻き状に伝わる。密度波が星間ガスを引き寄せ、そこに星がぶつかり──密度波が銀河円盤の回転よりも遅いので──、衝撃波やら何やら(笑)で星が誕生する。巨大な星は“腕”として輝きが目立つが、巨大な分だけ寿命が短く──太陽の十倍質量で約一千万年だそう──消えてしまう。
 それが腕で、腕として同じ星々がぐるぐる回ってる訳ではないと。(密度波理論)

# とりあえず、宇宙に満足(?)しました。「ニュートン」などまでは、読みたいと思いません(笑)。

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2009年1月13日 (火)

宇宙論入門

Uchuuron 佐藤勝彦『宇宙論入門──誕生から未来へ』(岩波新書)を読みました。

 過半が理解できないけど、おもしろかった。昔『ホーキング、宇宙を語る』を読んだときは、(わたしのせいでしょうけど)おもしろくもなく記憶にも残らなかったけど。
 ビッグクランチ──宇宙終焉の一仮説──という語彙を数年前にPCゲームで知り(笑)、そこはかとなく新しい宇宙論に興味を持っていたんですね。ビッグバンで始まった宇宙は、エントロピーの増大により冷め切った「静かな死」の状態に行き着く……というぐらいで知見が止まっていたので。

 プロローグが、「ビッグクランチからの脱出」。五ページ弱の、超々遠未来ショートSF。
 ビッグバン暦1999億年。かつて「漆黒の暗闇」であった宇宙(いま現在は、ビッグバン後137億年と言われている)は、「どす黒い赤色」に輝いていた。「曲率が正」で「閉じた宇宙」である(と仮定する)この宇宙は、ビッグバン暦1000億年で膨張が止まり収縮へと転じたのだ(と仮定する)。そして500万年後には、ビッグクランチ──宇宙が特異点へと帰してしまう。その前に「真空のエネルギー」密度を部分的に上昇させ新たな「子ども宇宙」を生み出し、この宇宙から脱出する計画は成功させられるのか?
 ──という。たまりません!(笑)

 その後、「アインシュタイン方程式」「宇宙背景放射」「真空の相転移」「インフレーション」「ブレーン宇宙」「暗黒物質」「暗黒エネルギー」などなどを解説し、宇宙の誕生から終焉までの様々な理論を紹介してくれます。「宇宙の晴れ上がり」──ビッグバン後30万年をさす──など、なんて素敵な言葉なんでしょう!(笑)
 最後の最後に、「フェルミのパラドックス」に触れています。著者は、リース卿の「知的生命体の社会はある段階で不安定となり自滅する」に共鳴しているようです。それで、この天の川銀河には同時に一つの知的生命体しか存在し得ない──いまは人間しかいないのではないか、と……。

# 今度は、祖父江義明『銀河物理学入門』(ブルーバックス)を読もうと思います。

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2009年1月 6日 (火)

東天の獅子 第四巻

Toutennoshishi04 夢枕獏『東天の獅子 第四巻 天の巻・嘉納流柔術』(双葉社)を読みました。
 前に紹介している小説の最新巻にして、「天の巻」の最終巻。続巻は、「地の巻」にする予定だそうな。
 一・二巻に比べると約40ページ減ですが、第三巻からは約120ページ増えました。全巻、値段共通で。

 武田惣角の沖縄修行エピソードが、脚色されてるとしても興味ぶかかった。空手と称される前の、那覇手・首里手・泊手など各地の手(ティー)だった頃の。古い空手家というと、せいぜい船越義珍の名前ぐらいしか知らなかったので。
 (講道館が参加してから)二回目の警視庁武術試合は、横山と西郷の二試合のみが記述。大竹森吉が、いいところをさらってますねぇ。
 「天の巻」では頂上決戦と思しき、武田惣角と西郷四郎の戦い。しかし、あえてか描写されていません。正座対決、読みたかったなあ(笑)。片方は、これで最強の道からリタイアしたんでしょうね。
 最終盤で、ようやく前田光世が登場。十代前半ながら、郷土相撲で無敵を誇っていました。四郎と違って、屈託の無い感じ。

 一・二巻に比べて後半は、嘉納治五郎の出番が減り、柔道創成期を描くという感じではなくなりました。やはり、組織がどうのこうのを書く獏さんじゃないですね(笑)。おもしろかったけど。

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2009年1月 4日 (日)

ファイアスターター

Firestarter スティーヴン・キング『ファイアスターター』上下巻(新潮文庫)を読みました。知人にお借りして。
 キングの本を読むのは初めて。映画化作品も、観たことありませんでした。避けてたわけではなく。

 1980年発表の小説。存在自体は、映画『炎の少女チャーリー』の原作として知っていました(笑)。映画『スタンド・バイ・ミー』より前から。
 主役の女児チャーリーが力を解放する場面は少なく、その分派手でカタルシスがあります。謀略史観的な、超法規的な国家機関の暗躍。国益を謳う横暴に蹂躙される、本来は国家が守るべき個人たち。力の描写を含め、淡々とした描写に溢れるリアリティ。
 散々な物語だけど、最後が暗示するように、チャーリーと老夫婦だけでも心安く過ごせるようになるといいですね。孤立したとしても。

 1980年。アメリカ国内を、ほぼ無一文で逃げ回る父と娘。三十数歳のアンディと、七歳のチャーリー。二人を追い詰め、包囲をせばめる《店(ザ・ショップ)》。
 アンディと妻は、12年前の大学生時代、報酬200ドルの薬の投与実験を受ける。それ以来、アンディはマインド・タッチ能力──人の心をいじる力を、妻は弱いテレキネシス(念力)を得ていた。アンディの能力は、強烈な頭痛による一時的な無能力化という、副作用を伴っていたのであるが。そして二人の間に生まれたチャーリーは、赤ちゃん時代からパイロキネシス(念力放火)を無意識に行使しだす。父親のような副作用も無く、母親のような弱能力でもない。
 その投薬実験は、《店》の認可により行われていた。《店》とは、国益となり得るような非合法な科学実験を取り仕切り、その“後始末”まで行う組織である。その投薬実験では、アンディたち一部を除いて、ほとんどの被験者が事故・自殺などにより亡くなってしまう。それら不始末をもみ消したのも、当然《店》であった。
 実験は失敗と目され、能力を大っぴらに使わないアンディ一家も軽い監視下に置かれるのみで年月は過ぎる。しかし、ちょっとしたきっかけにより、“父と娘”は逃亡の日々に追いやられる。
 ヒッチハイクした農夫の家に、立ち寄ることとなった父と娘。老夫婦の親切を受ける二人の間近に、ついに《店》の包囲が迫って来た。両親とは異なり、底知れない力を秘めてると思しきチャーリー。父も娘も恐れおののいていた力が、ついに解放されてしまう。それは、後々にもたらすのと比べれば、ほんの小規模の災厄であったのだが……。
 平穏に暮らしたいだけの、父と娘。しかし《店》に加えて、《店》の暗殺者であるレインバード(アメリカン・インディアン)の個人的な興味が、チャーリーを放っておかない。再び抑えに抑えられた力は、ついに関係者全員に破滅をもたらす……。

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2009年1月 2日 (金)

若者のための政治マニュアル

Wakamonoseijimanual 山口二郎『若者のための政治マニュアル』(講談社新書)を読みました。
 山口さんは、前に紹介した『政治を語る言葉』の編者ですね。

 タイトルが示すとおり(?)、分かりやすく書かれています。専門用語などを、なるべく使わないようにして。

 一昔前の日本の「リスクカバー」──福祉・雇用/業界/業種保護などは、腐敗と結びついていたと。その腐敗をもってして、自由化・規制緩和してしまったと。後退した「リスクカバー」を取り戻すにしても、昔のように腐敗と結びつけるような復古は出来ない。
 「リスクカバー」を自己責任とし、自由化・規制緩和を推し進める「新自由主義」。対するに必要な公的扶助すべき施策とは、立場を置き換えて多くの人に当てはまる/必要とされるものであると。大企業を優遇する法人税の軽減が、政財界人が言うように果たして、景気──社会レヴェルを下支えするために必要なものなのか?という問いを発している(と思った)。
 政治に臨む/望むにあたって、「懐疑的な進歩主義、楽観的な保守主義」であれと。小泉改革に象徴される似非保守は、自由化・規制緩和すれば全て上手くいく──上手くいっていないのは自由化・規制緩和が不充分であるという、「楽観的な進歩主義」であると。理想を描かなければ進歩へと進み得ず、また現実に即して行動しなければ進歩を実現し得ない。と、おっしゃってます。

 おのれの政治指向を簡易に再確認するのに、最適な本ではないかしら。リトマス試験紙のような。

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2008年12月20日 (土)

ぼくらの~alternative~

Bokuranoalternative0102 大樹連司『ぼくらの~alternative~1&2』(小学館ガガガ文庫)を読みました。知人にお借りして。
 前に紹介している漫画を原作とした、文字通り“異世界”の小説。少し違うぐらいのノヴェライズではなく、本筋に影響しない範囲での外伝──『ガンダム』ものであるような──でもない。
 第二巻末で著者は、アニメ版OPソングである石川智晶「アンインストール」への謝意を表しています。原作者は、第一期EDソングである「Little Bird」歌詞を第八巻で引用してましたけどね。

 原作の思考実験性が好きな人ならば、受け入れて楽しめるでしょう。『エヴァンゲリオン』と違って、『ぼくらの』にキャラクター萌えする人は少ないでしょうし(笑)。
 最初の子ども十五人の内、五人が別人。内一人は原作登場者で、また一人は原作の(十五人中の)二人の性格・趣味・容姿・境遇をつぎはぎしたような人物。同一人物に関しては、物語開始前の境遇は概ね同じようです。

 上記のごとく、物語の味わいは原作と同じ。両者を分かつ最大の違いは、トリックスターの存在かしら。その暗躍により(笑)、各々の最期がより救いの無い──露悪的な方へと振られています。ダークなモジ(笑)、惨めなワク、胎児パイロットの活躍(?)──これは露悪じゃないかしら?──などなど。
 そもそも“原作から降ろされたパイロット”が、善性を担っていた(?)子どもたちばかりですからねぇ……。

 しかし一・二巻での、ウシロの影の薄さったら……(笑)。

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2008年12月19日 (金)

東天の獅子 第三巻

Toutennoshishi03 夢枕獏『東天の獅子 第三巻 天の巻・嘉納流柔術』(双葉社)を読みました。
 前に紹介した小説の、最新巻です。一・二巻に比べて、値段据え置きで約160ページ少なくなりました(笑)。

 警視庁武術試合は、割りとあっさり描かれていました。やはり、好地円太郎がいいですねぇ。
 そして、円太郎と同門(揚心流戸塚派)の大竹森吉も良かった。粋でいなせで義理人情にあふれ、なおかつ知性派である。獏さんの小説では、珍しいタイプじゃないかしら?
 ひと段落して闇討ち人が現れるのも、やはり獏さんらしいですねぇ。『姿三四郎』とは違う、柔術に次ぐ空手家との闘争の始まり(?)です。

 ページ数もあって物足りなさをおぼえるけど、やっぱり面白い。

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2008年12月17日 (水)

東天の獅子 第一・二巻

Toutennoshishi0102 夢枕獏『東天の獅子 第一・二巻 天の巻・嘉納流柔術』(双葉社)を読みました。知人にいただいて。(第三巻、買いましたよ!)
 前に紹介した小説家の、一種の歴史小説です。架空人物による時代小説ではなく。

 「まえがき」によると、四巻分は柔道創成期のお話になのだそう。柔術の一派としての嘉納流「講道館柔道」の創設と、その創成記の強豪たちと古流柔術家たちとの競い合いを描いた。(駄じゃれの創世記(ジェネシス)つながりじゃないけど、キリスト教とユダヤ教の関係みたいね。って思ってたら、第三巻で獏さんも書いてました(笑))
 本来はコンデ・コマこと前田光世を描こうとして、ゆくゆくは出てくるんでしょうけど、まだ名前しか出てきません(笑)。

 序章は、木村政彦──大戦をまたいだ昭和の強豪である──について。柔道史上で空前の強さを誇り、昭和26年にブラジリアン柔術家エリオ・グレイシーと試合って勝ったという。その最後に、前田光世の名が出てきます(後でも出るけど)。
 その後は、歴史をさかのぼって明治前半。嘉納治五郎と、講道館四天王らが描かれます。古流柔術家についても、結構ヴォリュームを割きながら。

 第一巻は、横山作次郎の入門まで。第二巻は、警視庁武術試合の直前まで。
 基本は、獏さんの今までの格闘小説と同じ。群像劇の範疇。史実に則り──時には諸説の少数派(おもしろい方?)にも与したりしながら──、史実の隙間である言動や内心を補って書いています。おもしろい。べただけど、天衣無縫な好地円太郎が楽しみです(笑)。

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2008年10月27日 (月)

政治を語る言葉

Tokeidailesson 山口二郎 編『札幌時計台レッスン 政治を語る言葉』(七つ森書館)を読みました。知人にお借りして。

 中島岳志・辛淑玉(しんすご)・香山リカ・佐藤優の四氏および編者(主催者)を加えた五名が、それぞれ札幌で行った講演を収録した本です。立場・主張内容はそれぞれで、多様な視点が得られます(凡庸な紹介だなー)。

 山口さんは政治学者。穏健左派で、「解釈改憲(自衛隊は違憲でないなど)は護憲である」なる旨を言います。「戦前日本の、満州事変以降の戦争は間違っていた」なる旨も言い、“間違っていない”戦争もあるとお思いのようです。
 所詮「政治はバラマキ」である旨──大企業への優遇措置も弱者への福祉も同じく再分配であると──は、至言ですね。何に、いかにばら撒くかが問題だと。

 中島さんも政治学者(?)。自身の信条ではなく(?)、「真の保守主義とは何か」を語っています。現代アメリカのではない、イングランドに端を発するヨーロッパ流の近代保守主義について。(年月の風雪に耐えてきた)慣習の慣習たる所以を重視し、人間の知性を疑い、抽象的な理想論に基づいた急激な変革──フランス革命/ロシア革命(の革命後の施策)を最たるものとする──を嫌うと言う。
 ここまでは、よく目にする説明ですね。加えて「真の保守主義」は、「復古」や「反動」──慣習を一切変えるなとか闇雲に昔に戻れとか──ではないとのこと。(防ぎようのない)変化する環境によって生活が急激に変化するのも嫌い、“慎重に制度を修正する”のが「真の保守」であると。(と言うことは、石原慎太郎さんは……)
 わたしはルソーやミルを信奉する、懐疑主義者のつもりだったんだけどなー。リベラリストじゃなくて、保守主義者なのかなー(笑)。

 辛さんは、在日半島人(韓国人?)の方。その立場から徹底的にぶれずに発言するので、いちいちが尤もで目の前の気づかずにいたことも多く、とても耳が痛いです。「なぜ日本は、(帰還事業で)帰国した(日本で生まれ育った元)在日朝鮮人(≒日本文化人である!)も返せと言わないのか?」なる旨には、はっとさせられました。
 松田優作さんが『太陽にほえろ!』出演前に日本国籍取得したときの申請理由などについても、おもしろかったです。(笑えません)

 香山さんは精神科医。本書では、引っかかる部分は無かったなー(笑)。変なことは言ってませんけど。

 佐藤優さんは、起訴休職外務事務官。2002年に、鈴木宗男さんの事件で逮捕された方。
 国家/社会制度などについては多くを語りませんけど、外交戦略/戦術などについては単純明快かつ論理的でプラグマティック。この筋の通った明快さゆえに、左右どちらからも一定以上の信頼を寄せられるんでしょうね。
 こういう方が大っぴらに政治家のブレーンなどに迎えられないのは、社会の損失ですねぇ。「起訴休職外務事務官」だから、駄目なのかしら?(笑)

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2008年10月25日 (土)

魔羅節

Marabushi 岩井志麻子『魔羅節』(新潮文庫)を読みました。知人にお借りして。
 志麻子さんの小説を読むのは、『ぼっけぇ、きょうてぇ』を入れて確か三冊目(いずれも借用)。

 表題作を含む、短編小説集。表題に劣らない、えぐい題名ばかりの。ほとんどが読みやすい、「残酷」な話ばかり。味わい的には、夢野久作に近いかしら?
 「残酷」とは、スプラッター等のそれではありません。南條範夫さん──『シグルイ』原作小説の著者である──言うところの、理不尽な運命に抗うにしろ受け入れるにしろ、主観/客観的に不幸となる心情・情景ですね。(そういうものを表現するために、南條さんは時代劇を書いていたのだとか……)
 これまで読んだ志麻子さんの三冊──いずれも中(?)短編集──は、大半が女性視点の小説。そして、ほとんどが露骨な性がらみ。一冊だけ現代小説集で、本作と『ぼっけぇ、きょうてぇ』は大半が明治前期の岡山県北部(中国山地の北側)の農村が舞台。時代的には現代初期だけど、近代末期どころか中世の貧しい田舎のような、それこそ現代タイ山奥の農家に抱くようなイメージそのままの悲惨さ。
 そういう悲惨な環境において、因習・妄執に絡めとられた人々の大半が無力感の中で、鈍く妖しい光を放つさまが描かれています。

 で、本作(笑)。上記のような内容でありながら、やはり大半が読みやすい。強盗・強姦を常習とする男の視点で描かれた「支那艶情」などは、淡々とした描写ながら読み進めるのが苦しいですけど。
 話によって、超常的であったりなかったり。夢野久作のような、夢と現(うつつ)/正気と狂気の境が融解していくような展開・結末が多いです。その落ちに感心したり、不満に思ったり(笑)。
 やっぱり、表題作が最も良いですねぇ。故郷を追われた幼い兄妹の、兄が女装して男娼をやっているお話。エゴイスティックな隣人たちに踏みにじられ、読み手に贖宥状を与えない描写でありながらも、その妖しい嗜虐に魅了されます。

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2008年10月24日 (金)

筋肉バカの壁 博士の異常な健康 Part2

Drstrangehealth2 水道橋博士『筋肉バカの壁 博士の異常な健康 Part2』(アスペクト)を読みました。知人にお借りして。
 前に紹介した『博士の異常な健康』の続編です。と言っても、半分以上はマラソンについて。

 東京マラソン2007に参加した水道橋博士。レース中および準備トレーニング期間のことが、克明に記録されています。レース前日までの全109日間は、なんと日記で!
 面白いし興味深いけど、日記ならではの淡白さは否めません。「加圧トレーニングがマラソンに有効であるか?」なる旨のテーマも、経過・結果的にも曖昧だし……。
 当時三歳の長男と走る描写は、さすがにほほえましい。一緒に、5kmとか走ってます。

 残りは、前作トピックのフォローなど。老眼のために、さらに視力矯正の手術を受けたそう。

 前作のほうが、面白さ・有用性(?)は上でしたね。最も印象的だったのは、ブラックマヨネーズ小杉さんが、三恵製薬「テタリス」シャンプーを一年使い続けて薄毛が改善したことかしら(笑)。

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2008年10月23日 (木)

うさぎが鬼に会いにいく

Usagioni 中村うさぎ『うさぎが鬼に会いにいく』(アスキー)を読みました。知人にお借りして。
 中村さんによる、11人へのインタヴュー本。一人分は書き下ろしで、ほかは雑誌掲載分+その後に各々を振り返っての一言。

 とても読みやすい。半日の半分ぐらいで読めました。中村さんの言う「鬼」とは、根本価値判断がアウトローな──食べていくために社会にすり合わせた面ではなく──な人のこと。裏社会の法に従う人などではなく、自己の価値判断に忠実な人を指しています。
 盟友(?)マツコ・デラックスさんとの遣り取りが、興味ぶかかった。マツコさん、そういう出自だったの、と……。

 インタヴュー本ですけど、相手の言葉より地の文のほうが多いです(笑)。取材内容を客観的に「地の文」化したのではなく、自分の解釈・推測として起こしています。邪道ですけど、自覚的な中村さんの芸風ですね。
 その解釈は、意味を付与するもの。動機の解明などの。いみじくも文中で、意味と価値を峻別なさってます。意味と価値はセットではなく、対立するのも普通だと。

 死体写真家などワンダーな人へのインタヴューも、さらっと読めました。中村さんが、自己について妄執的につづってるい文章も。不思議。まさにライト・ノヴェルならぬ、ライト・ノンフィクション(笑)。
 「あなたが石を投げたくなった鬼こそが、あなたの分身なのかもしれない」とのことですが、この11人の中にはいませんでした。ほとんどの人が半ば悟ったような、自己顕示のギラツキが抜け落ちたような人たちばかりでしたから……。

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2008年10月22日 (水)

博士の異常な健康

Drstrangehealth 水道橋博士『博士の異常な健康』(アスペクト)を読みました。知人にお借りして。

 浅草キッドの小柄なほうの人が書いた、過激な健康法実践記です。読み始め慣れるまで、駄洒落──著者いわくの語呂合わせがきつかった(笑)。
 下記の健康法が、取り上げられています。あと、杉本彩さん──下記3・6を実践してらっしゃる──との対談。

1.発毛法およびヘアコンタクト
2.近視矯正手術
3.胎盤エキス摂取
4.ファスティング(断食)
5.バイオラバー装着
6.加圧式トレーニング

 1は、プロピア──2008年に民事再生法を申請した──での体験が主。江頭2:50さんの発言が、なぜかサ行が拗音化した赤ちゃん言葉(笑)。
 2は、1988年に受けたそうな。
 3は、まったく知りませんでした。効果ありそうだけど、人間から採取したのはちょっと……。
 4は、デトックスのためですね。
 5は、あの山本化学工業が作ってるんですね。2008年オリンピック前の水着騒動で、通称「たこ焼きラバー」を素材提供すると名乗りを上げた大阪のメーカー。
 6は、腕・脚の付け根を適度に縛って──加圧して、短時間の軽い負荷で大きな効果を得る心筋トレーニング法。

 5は、価格的に初期投資がきついけど、今年買った腕時計二つで「ベルトタイプ」が買えたなー(笑)。腰痛目的なら、「Gタイプ」で充分かしら。
 6は、単なるトレーニング効果のみじゃないそうな。成長ホルモン分泌や基礎代謝が促進され、若返り効果があるそうです。良さそうだけど、自分勝手にできないのはなー。

 バイオラバーは基本的に装着するだけ且つ初期投資のみなので、試してみたいですね。いずれ。
 オーディオ怪しいグッズ(※)みたいなのだったとしても、山本化学工業の肥やしになると思えば(笑)。

※スピーカー線への重し──制震のためのスタビライザーだそう(笑)──とか。オーディオ怪しいグッズの場合、メーカー発信というよりも、民間療法(?)にメーカーが後追いしたらしいですね。オーディオテクニカまで、そんなの出してんだから……。

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2008年10月21日 (火)

薀蓄好きのための格闘噺

Unchikukakutou  夢枕獏『薀蓄好きのための格闘噺』(毎日新聞社)を読みました。知人にお借りして。
 小説家の、格闘技に関する軽めのエッセイ集。毎日新聞に2004~2007年に連載されたものに、+α──1999年の格闘技エッセイを加えたもの。後者の頃は格闘技への関心が薄かったので、いま読むと現状と比べるに興味深いです。

 古今およびリアルタイムの、日本の格闘よもやま話が大半。日本・西洋格闘技を除く、中国を始めとする世界の格闘技は対象外(発表媒体を考慮した?)。

 やはり、回数多く割かれているトピックが興味深し。「力道山対木村政彦」や「大田節三のファイトマネー」など。
 「力道山対木村政彦」については、通り一遍は知ってるつもりでした。でも、試合中に“プロレス”からガチンコに移行した力道山、試合契約書に署名しなかった力道山など、推理をまじえた詳説が面白かった。
 「大田節三のファイトマネー」については、その人名すら知りませんでした。1922年にアメリカに渡った柔道家で、1926年に大富豪である寡婦と結婚したんだそう。その大富豪の資産総額、当時で6億7千万ドル!戦後その資産を以って、日本経済に多額の貢献をしたんだとか。

 1999年は、K-1が超満員の人気だったんだそうね。GP決勝はミルコ・“クロ・コップ”・フィリポビッチ──そういう苗字(?)だったんだ(笑)──対アーネスト・ホーストで、ホーストが勝ったそうな。
 また、修斗で宇野薫が佐藤ルミナに勝った試合について、熱く語ってました。

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2008年10月13日 (月)

幻魔大戦deep トルテック

Deeptoltec 平井和正『幻魔大戦deep トルテック』(e文庫)を読みました。一般書店で流通してませんけど、ブックサービス(ヤマト運輸)では買えるようです。

幻魔大戦deep トルテック
http://www.ebunko.ne.jp/toltec.htm

 実在個人/法人への批判が露骨だったり、構成バランスを欠いてたりしますが、おもしろさは顕在。『地球樹の女神』に顕著な低迷期(『ボヘミアンガラス・ストリート』と数個の例外を除いた、『真幻魔大戦』より後から『月光魔術團』シリーズより前の期間)と違い、破天荒さがあります。前哨戦たる中編、「少女のセクソロジー」など特に。
 「これで終わり?」という物足りなさも、続きを期待させる余韻と、好意的に受け止めました(笑)。

 『幻魔大戦deep』の続編。『ABDUCTION』シリーズの後日譚でもあります。主役の雛崎みちる13歳は東丈の配偶者(!)の連れ子で、遺伝的つながりは無し。高校生の兄もいますが、本作では出番なし。
 『幻魔大戦deep』は、電子書籍のみの発行。確か、『真幻魔大戦』の災厄が起きなかった並行世界の話(『新幻魔大戦』の世界でもなかろう)。50歳を過ぎた東丈が、いくつかの並行世界を行き来してました。それまでの『幻魔大戦』シリーズとは、物語・世界観的にもほぼ隔絶しています。特に、並行世界の概念は顕著に。
 従来『幻魔大戦』シリーズでの並行世界は、タイムリープ(時間跳躍)により生じたものでした。タイムリーパー(時間跳躍者)が跳躍すると、出現した時点で「時空連続体が枝分かれ」するという。(タイムリーパー消失時点では、枝分かれしなかったはず)
 対して『幻魔大戦deep』からの並行世界は、『ABDUCTION』シリーズの概念を受け継いでいます。トルテック(メキシコ呪術師)の、たまねぎ状の積層した並行世界の概念だそうな。どうやって生じるるかは語られず、あるものとして書かれています。

 雛崎みちるの母親(前夫は過労死)が、東丈と再婚してから四年。みちるは父の指導のもと、作家修行を重ねていた。一方の東丈は、特殊能力を生かしテロリスト対策のコンサルタントとして、国家・公安などを相手に多忙でもあった。
 あるとき、15億の人間が消失する大災厄が起きるとの情報(いつ・どこでは不明)が、国家・公安に近い陰の大物(笑)にもたらされる。それに際し助力を願おうと、(『ABUDUCTION』シリーズの)トルテックたちの捜索が始まる。
 みちるもトルテック探しで、ちょっとした手伝いをする。しかし不意に古代トルテック(?)のマエストロ(猫に変身する女性)が現れ、二十歳弱に肉体を成長させられてしまう。その日から大災厄を防ぐために、みちるは時空を跳びまわる生活──特例を除き別並行世界からの復帰は元の時点に戻れる──となってゆくのであった……。

 「少女のセクソロジー」は東丈が現われなかった、みちるの母親も死んでしまった並行世界の話。二編ありますが、一編目は不思議要素がほとんどありません。でも面白いです。みちるが清潔でも不潔でもなく、しかし同級生とホモセクシャルな関係になったり(笑)。
 二編目では、トルテックではなくアフリカ呪術使い(笑)となって戦ってました。

# 「2月刊行に向けて快調に制作進行」とのことで、一月中に代金を振り込めば刊行と同時に入手できると案内されました。それに従ったところ、六月初旬に届きました。マーヴェラス!(笑)
 まあ、予約特典として電子書籍版CD-ROMが“いずれ出来上がって”送られてくるようだから、良しとしましょう。

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2008年9月28日 (日)

おまえが若者を語るな!

Wakakata 後藤和智『おまえが若者を語るな!』(角川oneテーマ21)を読みました。
 著者は、自称(?)「若者論」研究者。共著『「ニート」って言うな!』(2006年)で、名を上げた(?)方ですね。1984年生まれで、現在は大学院生(都市・建築学専攻)だそうな。
 とても読みやすい。同じトピックでは、内容の重複する下記ウェブログよりも大幅にダイエットされていて(笑)。

新・後藤和智事務所 ~若者報道から見た日本~
http://kgotoworks.cocolog-nifty.com/youthjournalism/

 後藤さんの本、初めて読みました。今までの「俗流若者論」への批判は、批判対象年代が上すぎて興味が湧かなかったんですね。「バーチャル感覚」「リセット・ボタン」などの語彙が恥ずかしげも無く使われてる俗流若者論は、二次引用で読むのも不快ですから。
 でも、本書では違います。批判対象の両横綱は、宮台真司さんと香山リカさん。かつては若者/若者文化の擁護者であった(?)者らを、主な批判対象としています。おまけに、前に紹介した宇野常寛さんクラスまで(笑)。

 タイトルはセルフ二番煎じ(?)ですけど、至極真っ当な本。批評とはいえ、数値データ・統計に当たりましょう。直感や、二次経験・浅く狭い一次経験などのみに頼ることなく。というような。(チョムスキーも、批判されそうだなあ……)
 わたしは数値データや統計を読むのが苦手なので、耳が痛いです(批評家じゃないけど)。この後藤さんのような、数値データ・統計をなるべく省いて分かりやすく二次引用してくれる論者を見つけるのが、精々できることかしら。

 結論は、若者論に代表される「世代論」をやめようということ。「団塊世代」「バブル世代」「ロスト・ジェネレーション」などで世代の特徴を宿命的に──矯正不可能のごとく規定し、運・不運も自己責任へと矮小化する議論の類を。そういう論調は、制度の欠陥・政策の失敗などの大きな問題から目をそらさせてしまうと。
 自分の経験をよりどころとし、それぞれの時代/地域性を内面化することが悪いのではない。それらを客観視し、他者の視点をおもんぱかり、普遍的な議論をしましょうと。

 若者“だけ”が悪いんじゃないと言うけど、無くはないであろう若者の悪い点について“も”聞きたい。でも、いかなる世代論にも与しない言われたら、聞けなくなっちゃいます(笑)。
 もっと対象を機能的に(?)狭めて、定量的に仔細検討しましょう。ってことなんでしょうけど。

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2008年9月20日 (土)

吸血鬼ハンター20 D-不死者島

D20 菊地秀行『D-不死者島』(朝日文庫ソノラマセレクション)を読みました。前に紹介している小説の最新巻です。

 本巻も、良くも悪くもなし。シリーズ20作目(中篇集『D-昏い夜想曲』を除く)だけど、特別なことも……無くもない。“あのお方”の存在が“こんなに”ほのめかされたことは、いままで無かったでしょう。
 あと、こんなに“D”の出番が少ないのも、初めてではないでしょうか。常も少ないですが、特に。

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2008年9月 3日 (水)

Fate/Zero material

Fatezeromaterial 『Fate/Zero material』(TYPE-MOON)を読みました。税込み1300円。
 前に紹介している小説の、絵素材(パーツ、設定など)・用語辞典・製作者対談です。

Fate-Zero
http://www.fate-zero.com/mt.html

 絵素材は良いです。どんな作品でも意外と公開されない(?)、カヴァーCG各パーツのフル画像──重なった後ろや切られた部分が見れる──とか。キャラクター設定は没ラフまでと豊富で、乗り物・武器(刀槍など)設定画もあります。銃器設定画は皆無で、コンテンダーぐらいは入れてほしかったなー(直接、原資料にあたったのかしら?)。
 用語辞典は、執筆者の虚淵玄さんが書いてます。本家TYPE-MOONスタッフによる類書の雰囲気を踏襲した──本編のシリアスな作風と違えた軽いノリが、本家スタッフの場合と違ってやや上滑りしています。
 製作者対談は、武内崇さん(原画家)が司会で、虚淵玄さん(執筆)と奈須きのこさん(本家ゲームの脚本家)がメイン。上記の虚淵さんのノリと、外部の兄貴分(?)で仲間内ではない虚淵さんが入ることにより生じる大人の褒めあい(?)が、やはり上滑り感をかもしています。有益な情報(?)は、奈須さんがソラウ萌えと公言したぐらいでしょうか(笑)。

 ドラマCDも出ましたけど、一回きりじゃなくて分売なのね。いくつに分けるのか知りませんが──少なくとも(二・三巻分をくっつけて)三回には分けそうだ──、一回分が3780円もしたら付きあいきれません。グラヴィアDVDで手一杯です(笑)。
 ムックやアニメ映画『空の境界』DVDとかもそうだけど、TYPE-MOON周辺者の商魂はすさまじい。本家スタッフは、本冊子のような同人誌を廉価に出しているのに……。

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2008年8月31日 (日)

ゼロ年代の想像力

00si 宇野常寛『ゼロ年代の想像力』(早川書房)を読みました。
 本書は、“物語る”サブカルチャーを解題する現代批評です。「SFマガジン」誌上に2007~2008年に連載した記事に、「大幅に加筆修正」して書籍化したものだそうな。
 (第二次を含む)惑星開発委員会を主催する「善良な市民」こと、宇野常寛さん。宇野さんについて知るには、下記のページが参考になります。

文字数が多すぎて四部作のうち一つを後回しに - シロクマの屑籠(汎適所属)
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20060924
転叫院のページ
http://tenkyoin2.hp.infoseek.co.jp/
第二次惑星開発委員会 宇野常寛
http://www.geocities.jp/wakusei2nd/
(↑三つ目の本家サイトは、トップページ下のほうの【menu】下と〔archive〕下層にコンテンツがあります)

 最初に言い訳すると、いわゆる評論家・批評家──宮台真司・東浩紀・大塚英志・岡田斗司夫あたり(除く、宮崎哲弥など)──の本を読んだことがありません。悪しからず。
 (それでも漏れ聞く範囲では)日本のサブカルチャー批評の射程は、現代日本に閉じていますよね。海外から伝わってくる(耳を傾けている)日本サブカルチャー批評も、表面的な毀誉褒貶でしかありません。もっとも、それは日本サブカルチャーだけに限らないかも。それが、ハイカルチャーとの違いかしらね。

 挑発的な、示唆に富んだ本です。身体性がオミットされた──生死が及ぼす影響およびコミュニケーションとしての性行為は含まれる──、知的遊戯の次元でですけど。
 宇野さんの批評は、(建前上は若年者向け)“物語る”サブカルチャーに親しみを持つ知的な人間──あるいは知的になりたいと願う人間(わたしだよ!)がターゲットでしょう。しかし、宇野さんが称揚するTVドラマなどを例に汎コミュニケーションを説いて、ターゲット読者が首肯するでしょうか?邦楽に“満足している”人たちに洋楽の先進性や独創性を説いて薦めるような、実効性の薄い言説ではないでしょうか?もっとも実効性のありそうな、(反知性主義的ではない)知的になりたい素直なお馬鹿ちゃんたちに、どれほど届くのでしょうか?

 本書が読み解き・解題した時代の傾向は、ざっと下記のとおり。
●1980年代以前
 冷戦終結前の、「大きな物語」が有効な時代。乗っかるにしろ反抗するにしろ、イデオロギーや求心的な社会規範が機能していた。生き方・生きがいのモデルを、社会が示していた。
●1990年代<セカイ系>に至る道
 自分探しから、社会的退却──引きこもりへ。1980年代から「冷戦」と「バブル」が引き算され、生き方・生きがいのモデルが崩れた時代。何をしても悪くなるなら、何もしないでおこう、と……。
●2000年代序盤<決断主義>へ至る道
 何もしなけりゃ、物心ともに負け組。無根拠でも中心的価値を選び取って──帰属を選んで、敵対グループを排撃し勝ち残りをかける。
 ゆえに、他グループの言説は吟味すらしない。耳あたりの悪い、忠告・説得を受け付けない。(敵の敵は味方という発想も、おそらく無い)
●2000年代中盤以降
 <決断主義>的な帰属を乗り越えた、<汎コミュニケーション>──合目的的ではない関係性構築へと至る道?

 以上を、物語るサブカルチャーと相互に参照しあいながら、読み解いていっています。
 ゆえに個々の作品の解題は、表現レヴェルの出来不出来を基本的には問うていません。脚本・プロット重視。作品が意識的/無意識的に問うている/はらんでいる、世界認識と対応策を問題としています。
 最も多く俎上に上がっているのは、『AIR』と『DEATH NOTE』。前者は<セカイ系>の限界を露呈するもの、後者は<決断主義>の限界を暴くものとして。

 上記のように、<決断主義>の解消を<汎コミュニケーション>に求めています。宇野さんは「再帰的」にというでしょうけど、山田太一・小津安二郎らの日常ドラマとどう違うのでしょうか?凡人が理想を掲げ超越性に近づくよう歩む──陳腐な自分探しと違う!──のは、百害あると言わんばかりです。それこそ、「自分探し」と同じような「等身大」幻想ではないのか。
 それと、コミュニケーションに対する「酸っぱい葡萄」の例え(主に恋愛方面)。「嫉妬してるでしょ?」と同様の、あらゆる反論をなさしめないNGワードでしょう。断じた側の前提条件が問えなくなってしまう、対話拒否の言葉です。
 あと、身体性の除外がねぇ……。誰でもとは言いませんけど、自転車で一日に往復100kmぐらい走れば、関係性に依らずとも自信が付くでしょう。それじゃ批評にならないけど(笑)。それとも、根性主義って言われちゃうかしら?

# 著者近影が、土田晃之さん(元U-turn)にクリソツ(笑)。2008/08/27「朝日新聞」朝刊の文化面にも、(小さくですけど)取材を受けて写真が載っていました。やっぱりそっくり!

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2008年8月18日 (月)

ファントム

Phantom スーザン・ケイ/北條元子(訳)『ファントム』(扶桑社)を読みました。図書館で借りて。
 前に紹介した小説『オペラ座の怪人』のファン・フィクション──二次創作小説ですね。やずみさんに教えていただきました。

 各国/各時代の風俗描写も興味深く、大変おもしろい。19世紀を生きた、怪人ことエリックの一代記+α。原典『オペラ座の怪人』が状況・事態・事件を描くものなら、本作は感情の謎解き作品ですね。うわごとを駆使してまで、潜在意識をあばいて(笑)。
 終章の読み始めは悪趣味に感じましたが、結末で納得しました。ラウールの、ロマンティックな矜持に。ここまで補完したのなら、シャンデリア事件を改変すればいいのに……。

 語り部は、エリック本人だったり他人だったり。第一章は母親視点で、終章はラウール視点。
 幼年期、ジプシー(ロマ)同道、ローマ石工修行、ペルシャ宮廷、オペラ座建築、クリスティーヌ失踪事件(原典エピソード)、事件17年後が描かれています。インド放浪──「パンジャブの投げ縄」修得エピソードはオミットされていて、ちょっと残念(笑)。

 母親・師匠・友人を愛し/愛されていたのに、互いに告げられなかった間柄。最期に訪れた、苦渋の愛。まさに愛のフーガ──遁走曲ですね。

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2008年8月17日 (日)

オペラ座の怪人

Theopera ガストン・ルルー/長島良三(訳)『オペラ座の怪人』(角川文庫)を読みました。図書館で借りて。
 前に紹介した映画『オペラの怪人』の原作ですね。

 おもしろい!人物たちが浅はかではないし──そういう役柄をになう人もいるが──、魂の救済も描かれています。
 不可思議な一幕が描かれ、後に裏側の真相が描かれる。それが繰り返されます。怪人は当初、超自然とトリックを併せ持つように描かれていました。後に最も詳しい(劇中の)関係者により、トリックのみの“人間”であったと説明されます。果たして、そうなのか?

 若い恋人たち、怪人、支配人たち、いずれの人たちも、善人/悪人/愚か者一辺倒ではありません。クリスティーヌが怪人に抱くのは単純な嫌悪感ではなく、自身の生い立ちを背景とした感情、交感と洞察により綾なされた感情などが入り乱れています。芸術に起因する感情は、ヨーロッパ歌劇の教養に乏しいので、いまいち理解できませんでしたが……。
 支配人たちの疑心暗鬼の描写──結局は実際的な部分でしか理解しようとしない──なども、邪魔に感ぜず面白かった。

 《勝ち誇るドン・ジョヴァンニ》であった怪人は、最期、どういう曲を己に附したんでしょうね……。

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2008年8月10日 (日)

禅とオートバイ修理技術

Zenmc ロバート・M・パーシング『禅とオートバイ修理技術』(ハヤカワ文庫NF)を読みました。

科学的唯物主義は、科学者自身よりも素人の科学崇拝者によく見られるもので、実在するものは物質かエネルギーで構成され、なおかつ科学機器によって測定できると主張する。それ以外はすべて実在しないか、あるいは意味がない。([下]P.64)

 この本は1968年から(?)執筆され、1974年に出版されました。上記引用部だけ読むと、後のニューサイエンスの先取り?、って思うかも。でも、そう単純ではありません。上記のような態度──科学を装う疑似科学の否定をも越えた──にも、唯物的二元論のみならない「東洋の英知」の見直し云々にも、恣意的な両者のいいとこ取りにも、“適当”に着地しません。
 著者は、1928年生まれのアメリカ人。15歳で大学に進学し、後の分子生物学に相当する研究に入ります。しかし自然科学の手法に行き詰まり(後述)、二年次に落第し17歳で除籍。朝鮮戦争に従軍後、哲学に転じて復学。その後、インドにも留学。帰国後、副業(テクニカル・ライター)および大学で修辞学を教えながら、己の哲学──《クオリティ》についての考察を深めます。しかし、より良い“学究”環境を得ようと奮闘するも、もろもろに行き詰まり精神病を発症。1963年に裁判所の命令で、現在とは異なる電気ショック療法を大脳葉に受け、それまでの記憶を含む人格の多くを失ってしまいます。
 そして、1968年。著者は11歳の息子と、オートバイ二人乗りでアメリカ国内の長期旅行に出ます。旅程の前半は、友人夫婦のオートバイ二台と共に。東部から西部へと、内省を深めつつ。息子のためと、パイドロス──古代ギリシア雄弁家の名を借りた著者の失われた人格──を掘り起こし自己を統合するために。
 出版から五年後。その息子は、路上で強盗に刺殺されてしまいます。それでも、本編の最後で得た結論は有効だと言う著者。「私たちは不幸に打ち克ったのである。」と──。

いったい“どの”仮説を検証しようとするのか? ボアンカレはこう記している。「もしある現象が一つの完璧な物理学的説明を許せば、それは実験によって明らかにされるすべての特質を巧みに説き明かす同様の説明を無限に許すことになる」これはパイドロスが実験室で言明したことでもあり、それが彼の大学除籍に関する物議を醸したのである。([下]P.117)

 上記引用のような事情で、著者は自然科学に行き詰まります。仮説を検証し消去確認するほど、無限に仮説が生まれてくると。
 ほどほどの“科学バカ”なら良かったのでしょうが、選んだ分野と時代も悪かったんでしょうね。

科学が科学の方法を研究の対象にすれば、必ずや科学の存在そのものを問うことになり、末には科学的回答の妥当性を破壊することになる。([上]P.232)

 著者が自然科学を志したのは、科学自身とその目的を問うていたから。その延長として、科学の上位と目する哲学に転じたのだと。
 しかし、禅に入れ込んだりはしません。勿論、知的遊戯や単なる思考実験でもありません。後に気が狂うほど、考え詰めてしまうのですから。

完全な確信を持っていることに身を捧げる人は決していない。明日もきっと太陽が昇ると熱狂的に騒ぎ立てる人はいないはずである。それは誰もが“よく知っている”ことだ。政治的あるいは宗教的信条に、そしてまたそのほかの教義や目的に熱狂的に身を捧げるのは、絶えずそれらに疑問を抱いているからなのである。([上]P.278)

 著者が科学の徒として理性的・合理的判断“だけ”を突き詰めていたのは、それに疑問を抱いていたから。そして後に、《クオリティ》の“定義”を突き詰めてしまったのも……。
 そして、精神の進退が窮まってしまう。発症してから電気ショックを受けるまで、そしてツーリングまでは、つまびらかにされていません。妻と二人の息子(旅を共にするのは上の子)との、家族関係がどうなっていたかも。テクニカル・ライターで生計を立て、職歴を隠して新たな人付き合いをしていたぐらいにしか書かれていません。

修理に取り組んでいる目の前のオートバイは、自分自身という乗り物にほかならない。「そこ」にあるように見えるオートバイと、「ここ」にいるように見える自分は分離した二つの存在ではない。《クオリティ》を目指して成長するのも一緒であれば、またその軌道から逸脱するのも一緒なのだ。([下]P.215)

 《クオリティ》──善悪の非言語的(?)かつ普遍的価値を、主観に先立つものと位置づけた著者。二分された主観と客観の、主観の下に属するものとしてではなく。
 長/短期的な利害・快楽ではなく、“いまこの瞬間”の《クオリティ》に基づいて判断・思考・行動する。こうまとめてしまうと、いわゆる「直感」の言い替えに感じられるかもしれません。ですから(?)、オートバイ修理など具体例も用いつつ書いているのですね。

 オートバイ旅行自体についての記述も、決して少なくありません。なるべくハイウェイを用いず、《クオリティ》に従って走るツーリング。
 著者のオートバイは、折り返し写真を見るとホンダの中型車種のよう。ドリームCB450あたりかしら?(※)タペット調整も、自らしちゃってます。

こうして私たちは、ほかに車が一台も走っていない道を、ただひたすら西へ向かって走る。私は、この大草原を欲しいとは思っていない。写真も撮りたくないし、この風景も変えたくはない。それに、いまは止まることも走り続けることも、何ひとつ考えていない。ただひたすら走っている。([上]P.106)

※2008/08/19追記
 ホンダCB77(305cc空冷並列二気筒)が、著者のツーリング中のオートバイだったそうです。
 スマイルさん、ご教示ありがとうございました!

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2008年8月 7日 (木)

Tou 沢木耕太郎『凍』(新潮社)を読みました。知人にお借りして。
 ノンフィクション執筆の名手による、夫婦登山家を描いた本です。沢木さんの文章は、新聞コラムなどで度々目にしてきました。でも、一冊の本を読むのは初めて。

 すごすぎる。2002年。ヒマラヤの、八千メートルに僅かに満たないギャチュンカン。そこに山野井泰史・妙子は登り、下りで雪崩に遭ってしまう。雪崩が来そうな登りルートを避けたにも関わらず、何度も何度も。
 決死の脱出行に等しい壮絶な復路が──往路も楽ではないのだが──、淡々とつづられてゆきます。パートナーまたは両者の死を想定する、冷静な心理描写なども交えながら──。

 本を読む前に、夫妻を取り上げたNHKドキュメンタリー番組も見せてもらいました。2007年に、グリーンランドの高さ1300メートルの岩壁を登ったときの。
 その中では、「ギャチュンカンなんて過去のこと。どうでもいい」なる旨を言っていた泰史さん。読了後に思い返すと、夫婦共に大量の指を失ったということ以上の、強い意思による体験の冷徹な戦訓化が感じられました。

 登山については、漫画版『北壁の死闘』、夢枕獏『神々の山嶺』(小説/漫画(谷口ジロー作画)どちらも)、そして新田次郎『強力伝』(笑)ぐらいでしか知りませんでした。でも、事実はフィクション以上ですねぇ……。

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2008年7月28日 (月)

文章読本さん江

Bundokusan 斎藤美奈子『文章読本さん江』(ちくま文庫)を読みました。
 前に紹介した書評家さんの本です。

 数多ある新旧の「文章読本」を、例によって(ほとんど)斬って捨てています。原著は、2002年に同社(筑摩書房)から出ました。それに10ページの「デジタル時代の文章読本」と、他者四人による本書単行本に対する当時の書評が追加されています。
 斎藤さんは文章読本の代表として、新旧御三家六冊を選定しています。わたしは、本田勝一さんのを過去に薦められて読みました(続編も。その二冊と、高島俊夫『漢字と日本人』(文春新書)に感化されました)。

御三家
●谷崎潤一郎『文章読本』(←開祖でもある)
●三島由紀夫『文章読本』
●清水幾太郎『論文の書き方』
新御三家
●本田勝一『日本語の作文技術』
●丸谷才一『文章読本』
●井上ひさし『自家製 文章読本』

 文章読本の分析とともに、明治以降の学校作文の分析にも多くをさいています。学校で「作文」を習ってきたにもかかわらず、なぜ大人に文章読本のニーズ/シーズがあるのか、文章読本の内容が今様になったのか──学校作文の手引きと違うのか──を読み解くために。

 結論として、文章読本が説いている文章術は服装術であると。しかも男の。服装であるなら内容・目的によってではなく、TPOや気分によって選ぶ性質のものであると。そういう視点でもって、明治末期の修辞学者である五十嵐力さんの『新文章講話』を、最も(?)評価しているようでした。
 相手(少数/多数、特殊/普遍など)とTPOに合わせて最大限のオシャレをする──レトリックを適切に用いることが、最大限の効果を得る/思い(主張)を伝える──「思ったとおりに書く」ことであると。もちろん、どんなオシャレをする/しないのも自由ですね。服装と一緒で、その影響は本人が最も引っかぶるんですから(笑)。

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2008年7月27日 (日)

電波男

Denpaotoko 本田透『電波男』(講談社文庫)を読みました。酒井順子『負け犬の遠吠え』と同文庫に収録されるとは、因縁深いですねぇ……。
 元々の単行本は、2005年に三才ブックスから出ています。下記ページは、同年に為された著者へのインタヴュー。『オペラ座の怪人』及び『ファントム』が、キモメン文学とされています(笑)。

「本田透インタビュー 真実の愛を求め、俺たちは二次元に旅立った!(1-7)」 スペシャルインタビュー  Excite エキサイト  ブックス(文学ガイド・書評・本のニュース)
http://media.excite.co.jp/book/interview/200503/

 どこまでネタで、どこからが本気なのか。あとがきで語られるシビアな生い立ちを信じれば、大半が本気なのかもしれません……。
 なんだかんだ言って、示唆に富んだ本でした。

 ネタにしろ本気にしろ、意図的にしろ無意識にしろ、誤認やら見落とし/見逃しによる矛盾点があります。しかし、『電波男』への批判者たちの論点も、ずれてしまってます。
 敵は、同じく「もてない男」(小谷野敦)の中に“も”あり。「それでもなお、(三次元の)恋愛を求めるべきである!」という主張と「もう、(現状では三次元の)恋愛をしたくないんだ!」という主張は、永遠に交わらない。後者は個人的に閉じたものだが、前者は対人的なもの。後者が前者にとって直接には無関係だとしても──(市場経済恋愛≒異性愛であるゆえに)男性にとっての同性であったり(恋愛市場経済)女性にとって眼中外のオタク/キモメンであったり──、己の対人関係概念を追認したいゆえに、攻撃したり貶めたりするのでしょう。
 それは、多数派/少数派あるいは強者/弱者の間の普遍的な関係性かもしれない。しかし、弱者の論理が横暴に振りかざされない限り、多数派/強者は常に、少数派/弱者への同調/同化圧力をおよぼすことを戒めなければならない。

 上記を受けると、同書には男性からの女性批判(の要素もある)としては、配慮が欠けている。市場経済恋愛を志向する女性とオタクの男性では、前者のほうが絶対数は多いかもしれない。しかし大枠では、男性が多数派/強者の側であるのだから。
 もっとも“自分らしく生きていると任ずる”女性たちは、少数派/弱者とは自認していないだろう。「おしゃれは、男のためではなく自分のためにしている」などの言説からすると。自らの成功を以って「男女差別は無い。努力と才能しだいだ」と言い切るのも、自らが不成功でも男性全体の優位を以って女性を見下す──帰属(祖国・会社・学校・配偶者・出自など)の威を借りる輩にも通じる──のも、どちらも不健全である。
 帰属をどれだけ誇れるかは、その帰属範囲内でどれだけの貢献を為したかによります。既得権益の大きさではなく。その意味では、本田さんがオタクを誇るのは当然ですね。
 で、やっと『電波男』自体について(笑)。

 本書は露悪的かつ具体的な、萌えオタク版『やわらか戦車』。三次元の恋愛に絶望した男たち──非モテではなく喪男ね──よ。原因・経過はどうであれ、二次元(の恋愛)に退却/撤退しようという。そのような(誰もが)すべき論ではない己の振る舞いに対して、現実逃避やら何やら言われる筋合いはないという──。
 その主張は、概ね正しい。しかし、危険な方便である。未婚者の拡大による人口減少は、どうでもよろしい(無論、自発的に子供を欲する人たちが、子をなしにくい制度・社会はよろしくない)。老後が問題だ。老いても誰もが、オタク妄想強度を保てるわけではないだろう。脳に映像を流し込んだり薬で多幸感をあおるような未来図は、それこそ本末転倒である。

 本田さんの考える萌えの三次元化──市場経済恋愛になじめない女性たちの参画をうながすのも、従来の恋愛市場経済に駆り立てるシステムの似姿である。それは共に、男性構築/優位システムへの参画要請──お許しである。
 「腐女子は腐女子たちで勝手にやってくれ。共通の敵に対しては連携するけど」なる旨は、酷薄ではないだろうか。結婚・恋愛が市場経済化する前は、強い男による寡占・それに次ぐ強い女の寡占の、特に後者が可視的ではなかった。弱い男も、強い女の不可視と弱い女の可視により、不満のレヴェルが低かっただけなのだ。それを、システムを変えて恋愛市場経済化前の勢力関係に戻そうというのは、知的退行ではないだろうか。

 「現実と空想の区別が付かないのは、圧倒的にDQNである」なる旨は、けだし名言だ。中途半端なオタクが稀に大きいことをやらかすが、想像力欠如の凶悪犯罪を犯す圧倒的多数がDQNであると。
 オタクたたきに潜むロジックは、少年犯罪凶悪化のレトリックと同じである。総体の問題を、気に食わない社会的弱者に押し付けようとする。

 本田さんは、その家族観も含め性別分業を追認している。生まれ育ちをして無理からぬが、これはいけない。そういう指向が、「腐女子は腐女子で」につながっているのだろう。
 「女は化粧でルックスを誤魔化せる」云々は、そう思う男は真似ればいいのだ。でなければ逆に、女性内または男性からの「女性は化粧/おしゃれをするべきだ」なる不文律/無言の圧力の、無効化に努めるべきであろう。男女が全てを等しくするべきではないが、どちらかに負担を強いる性別的慣習は、その反対側に撥ね返ってくるのだ。

 程度にもよるが、思いやりに欠ける人たちを「貴様らは思いやりが無い!」と罵倒するのも、同様に優しさが欠けている。オタクは、卑下して何ぼ。誇りを持つなら、胸の中と仲間内で。
 喫煙やバイクやロックなどと同様に、行儀良くしてたって外部に胸を張る種類のものではない。嫌われて、規制されて何ぼ。それこそが、誇るべき証である。そう、キリンだ!(笑)

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2008年6月28日 (土)

スプライトシュピーゲルI

Spritespiegel01 冲方丁『スプライトシュピーゲルI』(富士見ファンタジア文庫)を読みました。知人にお借りして。
 前に紹介した『オイレンシュピーゲル』の、姉妹小説ですね。

 『オイレンシュピーゲル』と同時代の、かつてウイーンと呼ばれていた都市。やはり三人の少女が、公安の実行部隊である要撃小隊でテロルの未然防止──先制攻撃に当たります。やはり、特殊サイボーグ化された肉体で。
 紫火・青火・黄火とあだ名される三人。昆虫を模した翅。天かける都市の妖精。『オイレンシュピーゲル』との違いは、ボーイ・ミーツ・ガールかしら?

 しかし、意図的に設定をダブらせているので、キャラクター作りが大変そうです。どちらもライト・ノヴェルなので(?)、口癖から特徴づけていますね。
 表紙・口絵・挿し絵の質は、『オイレンシュピーゲル』の方が上かな。ベースの島田フカミネさんが効いてるのか。ただ、白黒の挿し絵とカラー絵との落差は、どっちもどっちかしら(笑)。

# スズメバチは、honeybeeじゃなくてhornetじゃね。他の二人に合わせて、ただbeeでいいのに……。

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2008年6月25日 (水)

オイレンシュピーゲル壱

Eulenspiegel01 冲方丁『オイレンシュピーゲル壱』(角川スニーカー文庫)を読みました。知人にお借りして。
 前に紹介した作家の小説です。

 近未来の2016年。かつてのウイーン。と言っても、現代から直結の未来ではなさそう。凶悪犯罪およびテロルの制圧にあたる憲兵大隊の遊撃小隊は、14歳の少女三人からなっていた。就業前からの重篤な身体障害を公的救済した、肉体を著しくサイボーグ化された姿で。
 黒犬・紅犬・白犬とあだ名される三人。地を走り跳ぶ、都市の番犬。ケルベルス。非寛容/他者排斥が蔓延する街で、三人は自分自身と仲間のために闘う。時に、傍目には「悪ふざけ」に見えるとしても……。

 イラストに、島田フカミネさんを嚆矢とする(?)ウェポン・ガールズ──戦闘機などの兵器を擬人化(美少女化)する趣向──や武装神姫との類似を感じました。と思ったら、読み切り時のイラスト及び以降の基礎デザインが、島田フカミネさんだったんですね。
 「/」を文の併置に用いるのは、『マルドゥック・スクランブル』シリーズと変わりません。文調は、さすがに砕けた感じですが。
 『GUNSLINGER GIRL』を連想させる設定は、イガイガ感をもたらします。しかし、『マルドゥック・スクランブル』ほどの淵源は見いだせません。一巻目だけ読む限りは。でも、ヤンデレ度は本作のほうが高いかも(笑)。アイディア・ガジェットの多用も、まだ(?)控えめですね。

 続いて、姉妹編『スプライトシュピーゲルI』を読みます。

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2008年6月20日 (金)

これが潜水艦だ

Koregasensuikan 中村秀樹『これが潜水艦だ』(光人社NF文庫)を読みました。
 同著者、海自(海上自衛隊)の潜水艦「あらしお」艦長を平成六年ごろ為さっていたそうです。

 やさしすぎず難しすぎず(?)、おもしろかったです。艦船について、軍民を問わずほとんど知らない──『沈黙の艦隊』と『海皇紀』の流し読み程度──のですけどね。これから、さらに深めて知ろうとは思いませんが。
 著者によれば、潜水艦は無敵だそう。潜水艦を害しうるのは潜水艦だけで、まず潜水艦以外に追尾され得ず、水上艦船・航空機には少なくとも負けはしないと。原子力潜水艦でなく、通常潜水艦であっても。しかし海自の花形は水上艦で、潜水艦に対する同僚の無理解を嫌悪・揶揄してます。

 一般的な海軍力の役割──制海の獲得/拒否(※)から始まり、潜水艦の役割、艦の具体行動、艦内の職掌・作業・生活、艦の構造、そして四方山話などが語られます。時に、旧軍や海自の他部門と比較しながら。
 「目標運動解析」の簡易な説明が、おもしろかった。探知方法(目視・音響・電波)の組み合わせにより色々だけど、(ある時刻・座標にいる自艦からの)探知目標の方位を知り、(自艦から見て左右どちらか)移動方向を知り、速度・針路を推定して次の移動地点を予測し、実際に観測できた次の移動地点と予測地点を比較して速度・針路の推定値を修正する。それを繰り返して、ほぼ正確な速度・針路を割り出すという。
 四方山話で、1ノットが時速1ノーチカル・マイル(海里)≒時速1.85kmであることを知りました(笑)。

※「制海の拒否」とは、敵の「制海の獲得」を防ぐことだそうな。

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2008年6月11日 (水)

柔術レジェンズ

Jiujitsulegends ムック「柔術レジェンズ」(晋遊舎)を読みました。知人にお借りして。DVD「[Jiujitsu Lifestyle]+スペシャル特典映像」が、付属していました。
 このムックで言う「柔術」は、いわゆる「ブラジリアン柔術」のこと。初期柔“道”の一部(?)を基とし、ブラジルで独自発展した。

 合気道に言及する、日本人柔術家の発言が興味深い。曰く、「護身術として、柔術に比べて有用性が低い」なる旨。「技術習得に時間がかかり、取り組んだ万人が有用なレヴェルに達せられない」なる旨も。
 合気道実践者は、否定するかもしれません。至上の価値は、別にあるとも(人間修養など?)。

 グレイシー一族の縁戚関係・柔術発展の歴史など、柔術の重鎮たちへのインタヴューも面白かった。技術解説も興味深いけど、すぐ忘れちゃうんで。オモプラッタとかね(笑)。
 1982年に31歳で事故死したホーウス・グレイシー(ヒクソン・グレイシーらの従兄弟で、実質上の兄)については、誰もが良く語っています。偉大な柔術イノヴェーターであり、指導者/人間としても素晴らしかったと。

 DVDでは、ホナウド・ジャカレイが小児に教える姿が素敵!腕ひしぎ逆十字固めなどをかけさせる──習得させるのに、脚をさりげなく自分の胸に持ってきてあげたり(笑)。

# ハイアン・グレイシー、2007年12月に亡くなられてたんですね。(このムックの記述ではありません)

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2008年4月 7日 (月)

人間コク宝

Ningenkokuho 吉田豪『人間コク宝』『続・人間コク宝』(コアマガジン)を読みました。知人にお借りして。各冊とも二十人弱の有名人(ほとんどが芸能人)へのインタヴュー集ですけど、女性は二人だけ。カルーセル麻紀さんを含めて(笑)。
 吉田豪さんはインタヴュアーとして、またプロレス・格闘技やサブ・カルチャーのライターとして、その筋(?)では有名なのだそうです。

 三浦和義さんの(2003年初出)は、タイムリーに読めました。
 チャック・ウィルソンさんの(2002年初出)は、昔読んだ本人トレーニング本(笑)の自伝パートより濃かった。トレーニング本ではダーティ・サイド(?)は、いじめられっ子→不良少年時代と、青年時代に人を(理由あって)半殺しにして軍隊に入ったなどを、ライトに書いてたぐらいだったので。
 ジョニー大倉さんの(2003年初出)は、TVなどで演出される(?)間抜けさと違う、繊細なアーティストらしさを感じました。

 そして、なんと言っても内田裕也さんの(2004年初出)が素敵。いままで、「ロケンロール!」と細い間の抜けた高い声で叫ぶオヤジ、というイメージしか持ってませんでした。あと、『コミック雑誌なんかいらない』に出ていたというぐらいにしか。
 今までの偉業(?)にも驚いたし、メディアに取り上げられないだけで今もすごい方なんでしょうね。他の内田裕也ファミリー(?)へのインタヴューからも、その素晴らしさが伝わってきます。
 1976年の著書からの写真(当時37歳?)が載っていますが、お色気たっぷりでめちゃくちゃ格好いい!はだけたパジャマ姿で、変顔してるのに。現在だって、ジミー・ペイジなんかよりずっと格好いい老けっぷり(?)ですよね。
 何より、「ありがとう!」と何度も素直に言うのが素晴らしい。おだてに対してだとしても、人は往々にしておだてられるほど高慢になりますからね。

 『続』は、愛川欽也さんの(2005年初出)が良かった。どの人も基本的には「昔の自分語り」なんですけど、愛川さんのは一般的に外側に開けてる感じでした。
 目黒裕樹さんの(2003年初出)もいいんですけど、今現在がすっかり「凪の人」になっちゃってる感じなんで(笑)。
 角川春樹さんの(2005年初出)に関しては、小田和正さんに『男たちの大和』の主題歌を発注したけど出来上がりが気に入らず没にしたという、その歌だけが気になりました(笑)。

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2008年3月21日 (金)

モテたい理由

Motetairiyuu 赤坂真理『モテたい理由』(講談社現代新書)を読みました。出てすぐ、買ってたんですけどね……。
 赤坂さんは小説家。わたしは、『肉体と読書』(講談社)というコラム集しか読んでませんけど。本書カヴァー折り返しプロフィールによると、「趣味はバイクでただ走ること。愛読する雑誌は、武道・武術雑誌『月刊秘伝』。」だそうな。『肉体と読書』によると、「ボンデージ出身」「クラブ出身」だそうですけど。

 小説家は、芸術家である。だから、直感的・皮膚感覚の社会分析を、科学的検証なしに断言しても許される。論旨が明快でなくても(無くても?)、(良くも悪くも)誤解されやすくとも。表現にエッジがあれば、ね。
 そういう目線で読むと、男女の生来の気質的性差が社会的/文化的性差(ジェンダー)を生み出し“も”するという認識も、そうかも知らんと容認できます。評論家・学者・政治家などが言ったら、まなじりが上がっちゃうところですけど(笑)。

 赤坂さん、かっこよくて切れ味が鋭いのに、押し付けがましさが無いのが良いです。同世代(赤坂さんは1964年生まれ)のできる女性──バブル崩壊前に社会に出て男女雇用機会均等法の恩恵を“享受可能な資質を持っていた”──などに比べて。結果ありきの「恋に仕事にオシャレに、わたしは手を抜かずに頑張ってきたんだよ!」的な押し付けがましい“成功者”の自分語りには、げんなりしちゃいますから(イチローさんなども同様)。
 かと言ってシニカルな相対主義でもなく、自分は自分で有している(ように見える)んですね。誤解かも知らんけど、沢木耕太郎さん的というか……。

 芸術家の本なので、全体の内容を云々するより、印象的な文章を下記に抜き書きします。(括弧内は、引用元の項題)

1.トレンドを「民主化」させるのは、いつだってその中核の「ホンモノ」ではなく辺縁の「ウォナビー」だからだ。(男の狩場と化した『JJ』)
2.その点、女性は、細かい差異を競いながら、びっくりするほど似通ったベーシックな欲望を見せるのである。(ふたつのマイノリティ派閥)
3.女には不思議な習性があって、なぜか、本人の努力以外のファクターが強く作用した美質を備えた同性に、より強い羨望を感じる。(他力の美質こそ羨ましい)
4.「お金で買えないものがある、買えるものはマスターカードで」、のコピーは、お金で買えないものに到達するためにうんざりするほど金を使わなければいけない、を意味する。(すべての男は広義のオタク)
5.なにせ人生で最初に面白いと思った雑誌はアニメ誌の『OUT』である(私たちの社会の未来)
6.そう、私たちはアメリカと正面から交戦したほぼ唯一の国であり、大負けした。(ここでなければ、アメリカ)

 2.の言は、そういう傾向が男より女に強いという意味でしょう。「その点」とは、細分化した嗜好──必ずしも個性的ではない──を持つ男性オタクとの比較において。
 3.の言は、政治的でない皇室ウォッチャーに中高年の女性が多いことからも、世代的にも幅広い気質であることが分かりますね。(これからも、下の世代から皇室ウォッチャーが補充されてゆくのかしら?)
 5.の言は括弧書きです。同じ項で、今とても若かったら腐女子になてったかもしれない旨を書いています(笑)。
 6.の言は、北ヴェトナムなどを忘れてるわけじゃないでしょう。アメリカに直に宣戦して──宣戦前攻撃はさて置いて──、正面からやりあったという意味でしょうね。

# 『JJ』だけでなく、『CanCam』についても勿論(?)言及されてますよ!

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2008年3月 8日 (土)

朝日ソノラマより引き継いだ本

 下記ページで、「朝日新聞社が朝日ソノラマより引き継いだ本の一覧と、出庫可能日を掲載しています。」だそうな。Excelファイルで。

朝日ソノラマより引き継いだ本
http://opendoors.asahi.com/sonorama/

 全370冊ですが、ソノラマ文庫からの重版対象は、なんと『吸血鬼ハンター“D”』シリーズだけ!まあ、新書版でも少し引き継ぐようですね。

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2008年1月27日 (日)

フェイト/ゼロ Vol.4

Fatezero4 虚淵玄『フェイト/ゼロ Vol.4』(TYPE-MOON BOOKS)を読みました。
 前に紹介している小説の最終巻です。

 やっぱり、征服王イスカンダルがらみが良かったですね。べたながら──だからこそ。豪放磊落で、茶目っ気もありチャーミング。そして最後まで、清冽かつ凄烈でした。客観的に見て得をしたマスターも、唯一イスカンダルのマスターだけでしょう。
 一方、セイバーはいいとこ無しです。見せ場は、ライダー(イスカンダル)とのすれ違いぐらいかしら。縁のあるバーサーカーの正体は、べた過ぎなのが逆にちょっと……。

 直接的な加虐描写──肉体暴力であれ言葉であれ──は好きではありませんが、本巻に最たる描写は中々に愉快でした。(己より)愚かな者たち同士の愚かな悲喜劇を演出するという、暗黒神父の間接介入が。
 同種の趣向で、王道“秀才”魔術師──前巻で脱落した“天才”魔術師より実力では上回っていそうな──の誰よりも無為な退場も、後からは他に思いつかないぐらい痛快でした。

 本巻冒頭の幕間では、『フェイト』シリーズではほとんど触れられない死徒──(地球発生の)吸血種で二番目に強い種類──が少しからんできます。二次創作らしい計らい(?)ですね。
 同じくお遊び的部分(?)では、セイバーが“最強のバイク”としてヤマハVmax改を駆るのがちょっと……。1990年代中盤ぐらいだとしても、ねぇ。それに、1500cc未満のオートバイで“ツイン”ターボ化は無いでしょう。

 本作、同人出版扱いなのにドラマCD化が決まっています。過去2002年に、『空(から)の境界』ドラマCD化の前例もありますけどね(当時、TYPE-MOON一般流通作品リリース前)。
 発表されてる声優キャスティングでは、イスカンダルが大塚明夫さん──大塚周夫さん(ねずみ男など)が父上だとは知らなかった──になっています。バトー(『攻殻機動隊』)やブラック・ジャックなどを演じられた素晴らしい方ですけど、ちょっと不安……。

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2008年1月14日 (月)

環境保護運動はどこが間違っているのか?

Kankyouhogoundouhadokoga 槌田敦『環境保護運動はどこが間違っているのか?』(宝島新書)を読みました。元は1992年に出た本で、これは2007年に出た新書版。1999年に、文庫版でも出てたようです。
 前に紹介した広瀬立成『物理学者、ゴミと闘う』と、かぶってる部分が多いです。広瀬さんが、槌田さんの著作“も”参考にされてるからでしょうが。

 下記の記述内容は、執筆時代を感じさせました。
●1991年暮れ、鉄くず価格の暴落。
●善通寺方式(ごみ詳細分別)と横浜方式(ごみ一括焼却)
●発癌物質、ポスト・ハーヴェスト(収穫後農薬)

 下記の記述内容は、いまにも通じますね。
●無理にリサイクル──再製品化しない。焼却して発電などエネルギーを取り出すのも、リサイクルである。そもそもアルミ缶・PETボトルなどの、業界利益誘導のリサイクル戦略に乗らない。
●毒物を出さない。出てしまった毒は、閉じ込める。

 下記の記述内容は、「なるほどね」や「そうかな?」や「ホントかよ!」かしら。
●近代工業の原点は廃物の製品化。(塩素と化学工業の関係)
●江戸に人口集中→大量の人糞を雑司が谷の畑に投入→虫が大量発生→鳥が食べにくる→鳥が武蔵野に帰り糞をする→原野だった武蔵野が森林化
●二酸化炭素による地球温暖化は、フランスが主唱。(原子力産業の盛り返しのため)
●近代化による二酸化炭素増加で、作物の収穫は比例して増えている(品種改良など、農業近代化の影響は?)。600PPMぐらいで飽和するが、いま(1992年)は300PPMぐらいである。
●オゾン・ホールは、フロンのせいではない。(最新の補注)

 なぜ……?
●「宮城(皇居、皇宮)」ではなく「江戸城」と呼ぶ著者。

 槌田さんは、ニヒルな環境保護不要論者ですね。本人曰くは違いますが。ただ、行くとこまでいく──資源が枯渇/再生産不能に行きつくまでいくしかない、というのには賛成。浪費のすすめじゃないけど。宇宙に出ても、資源問題は解決しませんしね。
 あと、経済原理による競争力の重要性を説いてますけど、びん再利用などのインセンティヴにはなりませんね。槌田さんはビールびん回収制度を守れといってますが、ドイツ人と公共意識が違うんですから。

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2007年12月23日 (日)

フェイト/ゼロ Vol.3

Fatezero3 虚淵玄『フェイト/ゼロ Vol.3』(TYPE-MOON BOOKS)を読みました。
 前に紹介している小説の第三巻です。(これも、七月に買ってたんですけど……)

 本巻も派手でした。バーサーカー(狂戦士)駆るF-15Jと、アーチャー(弓兵)駆る黄金の船の空中戦。セイバー(剣士)──騎士王アルトリアの、初戦での呪いの槍により封ぜられていた聖剣エクスカリバーの開陳。真っ当な誓約(魔術契約)を脱法的に反故にし、手負いの天才魔術師にとどめを刺す邪道魔術師。などなど……。
 長じて本編で重役を果たす姉妹の妹のほうが養子に出された理由も、それなりにロジカルで興味深かった。動機はどうあれ、実態は悲惨ですけどね。

 第四巻(最終巻)は、今度の冬コミック・マーケットで出るそうな。今度こそ、店頭で入手後すぐに読みたいものです。

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2007年12月11日 (火)

フェイト/ゼロ Vol.2

Fatezero2  虚淵玄『フェイト/ゼロ Vol.2』(TYPE-MOON BOOKS)を読みました。
 前に紹介した小説の第二巻です。(五月に買ってたんですけど……)

 本巻の見せ場は、王道天才魔術師VS.邪道魔術師の戦いと、ライダー(騎乗者)──征服王イスカンダルの宝具(必殺技)開陳かしら。
 天才ゆえの鉄壁の防御を逆手に取る、邪道の魔弾。己の肋骨二本を摘出し、その粉末を混ぜた生涯(?)66発のみの魔弾。その38発目を用い、37発までと同じく魔術師を“狩って”しまいます。
 魔術師ではないライダーの、己の能力によらない固有結界──現実を侵食する空想による空間の具現化──の現出。ゲーム本編の主役の宝具「無限の剣製(Unlimited Blade Works)」を、おそらく超えちゃってるでしょう。それでもアーチャー(弓兵)──英雄王ギルガメッシュに、負けることが決まっちゃってますけど。

 前作に続いて、きっちり面白かったです。著者は本家よりも銃器などに詳しそうなので、邪道魔術師が用いる現用兵器の描写などお手の物ですしね。

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2007年12月 5日 (水)

DDD 2

Ddd2  奈須きのこ『DDD 2』(講談社BOX)を読みました。前に紹介した小説の第二巻です。
 表紙絵は、新たな登場人物。「其(そ)は恒温の最高速。不滅を矜(ほこ)る、灼熱の揺籠(フォウオマルハウト)。」だそうな。

 本巻は、長編+中編+短編の構成。全編「書き下ろし」。
 長編は、ピッチャー対バッターの路上ゲーム──3 on 3みたいなノリ?──をめぐるエピソード。主役二人よりもピッチャー及びバッターの描写に多くが割かれ、著者の投球・打撃・野球に対する並々ならぬ愛情(?)──その熱量に違和感をおぼえるほどの──が感じられました。また、おなじみの胸糞の悪い露悪──大した悪意も無くリンチ/レイプなどを行い日常を大過なく暮らす小人たちの──が描かれ、トラウマが被害者を加害者に変化させる構造です。崇高なまでの投球・打撃描写と、相殺しかねないのに。まあ、トラウマ無しに物語を成立させられないとか、トラウマを書きたくてしょうがないとかではなさそうですけど……。
 中編は、長編にも少し出てたフォウオマルハウトの話。分量だけでなく、存在感も主役たちは希薄なエピソードです。(絶火のように?)常に最高速を維持し──運動速度だけでなく代謝や意思のスピードも?──、自らよりも最高速で上回る相手を凌駕するという不死身の存在を、馬鹿馬鹿しくも力技で描いています。これも、おなじみの躁的な人物造形です。

 長編では主役二人の出会いが描かれ、最初の“悪魔払い”のエピソードでもありました。それなのに、野球とフォウマルハウトが食ってしまってますね(笑)。

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2007年12月 2日 (日)

中国雑話 中国的思想

Chuugokuzatsuwa  酒見賢一『中国雑話 中国的思想』(文春新書)を読みました。(2007年10月発売)
 前に小説を紹介した作家さんの、中国コラム(?)集です。酒見さんの小説は、数冊を除いて題材を中国から取っています(※)。

 「本書はNHKラジオ「中国語講座」に約一年半ほど連載した「中国古今人物論」に加筆訂正をしたものである。」だそうな。内容は、下記のとおり。

一、劉備
二、仙人
三、関羽
(後世の神格化される課程が主)
四、易的世界
五、孫子
六、李衛公問対
(「元祖軍事オタク本」だそう)
七、中国拳法
八、王向斎
(形意拳を学び意拳を創設した、最後の(?)伝説的な武術家)

 やはり(?)、七・八──その二章で一冊の約半分を占める──が面白かったです。継続中の小説『泣き虫弱虫諸葛孔明』に照らせば、一~六も興味深いですけどね。
 著者からは深い中国文化への愛着が感じられますが、無謬・最高であるとするような思考停止したものではありません。ですが中国人は古代から現世利益的であったと理解していて、何ら実効が無いものに膨大な人と時間が割かれたりしないだろうと推測しています。よって非(西洋)科学的だからと、プラグマティックには逆に──実効面を無視して排斥できないだろうと。

 七・八では、形意拳・太極拳・意拳に多く触れられています。マニアには逆に避けられがち(?)な太極拳の概略などが、意外に興味深かったです。
 王向斎の直弟子となった唯一の外国人である澤井健一さん(帰国後、師の許可を得て「大気拳」を創設)についても、一ページほど触れられています。

※短編「エピクテトス」(『ピュタゴラスの旅』に収録)が、最も印象深い作品です。あまり小説として云々する作品ではないですが、題材のエピクテートス──古代ローマの解放奴隷にして哲学者──に強く心惹かれます。(エピクテートス『人生談義』上下(岩波文庫)、ずっと絶版なのよね……)

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2007年11月21日 (水)

サイズミック・エモーション

Seismicemotion  こちふかば『サイズミック・エモーション』(ZIGZAG NOVELS)を読みました。
 著者は、前はPCゲーム脚本家で上田庄吾と称していた人。同書の発行は2005年5月ですが、今のところ最初で最後の商業著作のようです(※)。

 超能力者である三人娘(念動者・感応者・自己時間加速および超身体能力者)による、チャーリーズ・エンジェルのようなお話……かしら?陳腐なプロットに、綿密なディティール──国家キャリア官僚の描写に顕著な──でリアリティを与えた小説ですね。よって意外なアイディアはありませんが、後編ではアクションだけではない『カメレオン』ばりの丁々発止を見せてくれます。
 傑作・名作ではありませんが、職人技と情熱による佳作・力作です。正直、続編も読んでみたい。

 脚本家時代の著者は、どろどろ描写をものする作風でした。同書は、そういう部分はほとんどありません。脇役の背景としてや、主役たちの背景──数年前に自らが破壊・脱走した超能力研究所での被験者としての生い立ち──として薄く見えますけど。
 よって(?)、恋愛描写もほとんど無し。超能力者同士や念動者vs.アパッチ攻撃ヘリコプターなどの、アクションバリバリでした。

※発行元の会社(リーフ)は、すでにありません。しかし発売元は別会社(星雲社)だったので、在庫分がAmazonで買えました。(まだ、いろんな経路で買えそうです)
 著者は、すでに商業執筆はしていないという噂も……。

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2007年10月18日 (木)

吸血鬼ハンター19 D-魔道衆

D19  菊地秀行『D-魔道衆』(朝日文庫ソノラマセレクション)を読みました。前に紹介した小説の、最新巻です。
 朝日ソノラマ文庫から出ていた同シリーズですが、アナウンスどおり朝日文庫──母体会社(朝日新聞社)が引き継いで出しました。

 まあ、いつもの“D”でした(笑)。
 少し違ったのは、十歳ちょっとの男の子が大人の戦闘士顔負けの強さと存在感を見せたこと。いままでも健気な子どもが出てきたりしましたが、そういうレヴェルではなく。切なくも希望も無くはない──みんな死んで終わりじゃない──結末も、悪くなかったです。

 全体としては、異なる敵勢力二つともが薄く書き込みが中途半端でした。人間を敵視しない女吸血鬼(貴族)は、魅力的でしたけど。
 タイトルは、ちょっと相応しくない感じですね。

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2007年10月 8日 (月)

物理学者、ゴミと闘う

Gomitotatakau  広瀬立成『物理学者、ゴミと闘う』(講談社現代新書)を読みました。

 質量保存の法則・エネルギー保存の法則・エントロピー増大の法則から日本のゴミ焼却・リサイクル問題を指摘し、リデュース(reduce:減らす)・リユースを説く本です。
 タイトルから想像される市民運動の実践記は、意義深いことも書かれていますが、それ程ページは割かれていません。むしろ科学的に、たまねぎのような積層構造をなしている「定常開放システム」たるあらゆる「環境エンジン」(※)の、入出力が滞ることの危険を説いています。

 あらゆる環境/産業エンジンにより排出される熱は、水蒸気により宇宙に放出される。地球側で滞りが起こらない限り、宇宙への放熱の余地は無限である。少なくとも、太陽巨大化の影響が出てくるまでは……。
 しかし物質は、燃やしても埋めても目の前から無くなるだけで、宇宙には出て行かない。基本、宇宙からも入っても来ない。化学物質は埋めても生物・細菌などに分解されず、燃やしても概ね他の化学物質への分解・結合が起こるだけである。いわゆる食物連鎖のような、消えてしまうゴミ──入力物となるエンジン出力物ではない。
 リサイクルし得るからと、PETボトルをじゃんじゃん使うのも正しくない。リサイクル時に燃料が消費され、必然的に廃熱も発生する。再生PETはPETボトルなどにはならず、低純度(?)のPET製品になるだけである。
 だから、リデュース・リユース。──といったような内容です。

 純粋な環境保護論者やシニカルな環境保護無用/寛容論者にとっては、歯切れの悪いどっちつかずの内容でしょう。「高エネルギー物理学者」が環境について包括的に書いているので(?)、論旨も時に迷走しています。
 しかし、その不明瞭さこそが、現実の不明瞭さに真摯に応答する、科学的な態度ではないでしょうか。(なんちゃって)

※文明技術による人為的なエンジンを除いた、自然的なエンジンを指す。細胞、生物、地球環境、恒星系、宇宙などの。
 小さなエンジンを大きなエンジン──小さなエンジンにとっての環境が包接しているので、環境から入力するものが無い/環境への排出する余地が無い場合、大雑把に言って当該エンジンより下位の定常開放システムが終焉する。逆に地球環境エンジンが熱死しても、宇宙には──そして太陽系にも何の影響も無い。

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2007年9月28日 (金)

マルドゥック・ヴェロシティ3

Mardockverocity3  冲方丁『マルドゥック・ヴェロシティ3』(ハヤカワ文庫)を読みました。知人にお借りして。
 既巻を紹介している小説の、最終巻です。

 不屈の闘志で正義を遂行しようとしていた主役が、虚無に埋没した行動者──閉じこもってないので有害である──となり、事件を“制圧”するためだけの存在となってしまったのか。その過程は納得できるものでした。
 大切な人たちを全て無くしてしまったからとか、モラルの一線を踏み越えてしまったからとか、外的/内的ショックにより情動や理性に欠損が生じたとか、他人/自分によって自由意思に反して良心の封印が生じたとか。そういう単純(?)な越境によらず隔絶した存在と変化したことが、飛躍する動機も含めて良かったです。(アーネスト・ライトみたいんじゃなくて、安心しました)
 自分だけのせいでもなく、環境だけのせいでもない。まあ自分が悪いんですけど、だからこそ悲劇なんですね。ヴァロット(前作の主役)とは異なる、相棒ウフコックの「濫用」の仕方も含めて。

 ただ、アジモフ『ファウンデーション』シリーズのガイア(ゲイア)──ギャラクシアのごとき概念(※)には、ちょっと萎えました。手垢が付いていたり萎えたりする概念も、あえて自覚的に用いるのであれば悪くないですけどね。自覚的なんでしょうけど……。

※矛盾や軋轢なく、個が全体に奉仕し・全体が個に奉仕する集団/社会。蜂の巣や蟻の巣のごときであるが、個の自由意志は尊重される。自由意志の指向が、“自然”と変質してしまってますけどね。

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2007年9月20日 (木)

マルドゥック・ヴェロシティ2

Mardockverocity2  冲方丁『マルドゥック・ヴェロシティ2』(ハヤカワ文庫)を読みました。知人にお借りして。
 前に紹介した小説の、第二巻です。

 引き続き、面白いです。胸糞の悪い拷問死体など──歴史中国もびっくり!──も含めて。
 主役の属するチームに、本巻でとうとう欠員が出ました。まだ、たった(?)一人ですけど。
 最高のボスが組織した最良のスペシャリストによる最強チーム──ワイルド7や公安9課の様な──の“約束された”崩壊は、次巻で怒涛のごとく訪れるのかしら?

 ただ、荒事関係の敵のヴァリエーションは、さすがに飽和気味ですね。いまさらながら、菊地秀行さんの偉大さと苦労──『吸血鬼ハンターD』などの──に思い至ります……。

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2007年9月18日 (火)

趣味は読書。

Shumihadokusho  斎藤美奈子『趣味は読書。』(ちくま文庫)を読みました。
 『妊娠小説』『紅一点論』に続いて、三冊目のちくま文庫“収録”です。斎藤さんの本は、その三冊しか読んでいませんが。

 ベストセラー本の、代読(?)分析本ですね。元々は平凡社PR誌での連載43本分(1999~2002年)がまとめられ、単行本化されたそうな。それに加えて下記六冊分が新たに加えられ、文庫化されました。

『頭がいい人、悪い人の話し方』樋口祐一
『東京タワー』リリー・フランキー
『ふぞろいな秘密』石原真理子
『えんぴつで奥の細道』大迫閑歩(書)+伊藤洋(監修)
『電車男』中野独人
『国家の品格』藤原正彦

 大ベストセラーは、普段は本を読まない「善良な読者」──胸を張って「趣味は読書」と言う様な人々を引きつけることにより生まれると、分析する斎藤さん(自称「邪悪な読者」)。そういう人々が求めるのは、あと腐れない──あとを引かない程度の内容であると。物語であれ知識であれ。
 『朗読者』を「包茎文学」と斬って捨て(切って縫って?)、『鉄道員(ぽっぽや)』を「怪談」と喝破します。男に都合のいい物語が無自覚に賞賛されるのを嫌い、同様/別様に女に都合のいい物語を嫌う──取り上げた中では前者(男に都合のいい物語)が多いので誤解を受けかねない──斎藤さんです。

 斎藤さんに取り上げられるベストセラー本なんて、一冊も読んでないと思ってました。しかし、一冊は“読んだも同然”でした。上記『頭がいい人、悪い人の話し方』の著者が、前年(2003年)に出した『ホンモノの思考力』を読んでいたのです。
 『ホンモノの思考力』内には、10ページほどの「バカに見える会話」という閑話休題コラムがあります。本編はつまらないと思ったものの(※)、そのコラムが面白くて同書を買いました。そうしたら『趣味は読書。』で引用されていた『頭がいい人、悪い人の話し方』の文章が、上記「バカに見える会話」とほとんど同じだったのです。どうやら同コラムを拡大(希釈?)した本が、420万部超(!)の大ベストセラーとなったらしいのです。つい最近も、「頭がいい」と書名の頭に付く樋口さんの新書を見かけました(笑)。
 コラム「バカに見える会話」は、うんざりする類の結婚式のスピーチ・上司/教師/親の説教などを、柔軟な知性を感じさせず実効性も無い愚かな会話として例示しあげつらっています。そういう人がごく身近にいたので(珍しくないですね)、面白く感じました。斎藤さんには、「冗長で分かりきった、まさに(つまらない文章/会話についての)自己言及/説明である」旨で切って捨てられてしまってますけど……。

※フランス人の知的さに習い(笑)、「二項対立」など型にはめて考えることから始めましょう。「理由は三つある。一つ目は──」など、型にはめて話しなさい。というような本です。
 まあ、ホワイトカラー(死語?)の新人研修に毛が生えたような内容ですね。

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2007年9月13日 (木)

世の中がわかる「○○主義」の基礎知識

Marumarushugi  吉岡友治『世の中がわかる「○○主義」の基礎知識』(PHP新書)を読みました。教養系の本を読むのは、約半年振りです(小説を含め、約15冊が未読のまま……)。

 タイトルどおり、世に数多ある主義を整理し、読者が脳内マッピングする手伝いをする手引き本です。オリジナル性を云々する本ではありません。
 でも、わたしには有益な本でした。従来どおり、懐疑主義とリベラリズムが自分の基盤であると、再認識できました(凡庸だなー)。

 細目では、反知性主義・排外主義・ナショナリズムなどに関する下記の言及などに、うなずくことしきり。

「文化資本に乏しい」つまり教養がない人々は、たとえ公正や平等など社会主義的(あるいは民主主義的)善を求めてはいても、社会内部のメカニズムが不正や不平等などの問題を引き起こしていることを理解するのが苦手だ。だから、手っ取り早く「悪」は外部にあると思い込み、それを排除・攻撃する。

(「愛郷心」と「愛国心」の弁別に関して)国家を人工的な構築物として郷里との違いを強調しても、そもそも国家を理性的にとらえられず、情緒的一体感を持つしかない人々にはインパクトが弱いのだ。

対立し合うように見える二者が、前提を共有している場合はしばしばだ。だから、あるものを否定するのと引き替えに、その反対物を無条件に肯定するのは、怠惰で粗雑な思考にすぎない。これを認識するだけで、整理できる議論や問題は数多い。

 「○○国/お前が悪い」「わが国/わたしが悪い」「どっちも悪い/悪くない」などの、思考停止した紋切り型の言説におちいっては駄目だということですね。

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2007年7月 7日 (土)

マルドゥック・ヴェロシティ1

Mardockverocity1  冲方丁『マルドゥック・ヴェロシティ1』(ハヤカワ文庫)を読みました。知人にお借りして。
 『マルドゥック・スクランブル』全三巻の、“前”エピソードである“続”編ですね。

 『スクランブル』と『ヴェロシティ』の連続性は、『スターウォーズ』エピソードIV~VIとI~IIIの連続性と似ています。未来の話の最大の敵役(悪者)が、過去の話の主役(いい者)である──という点が。
 ありふれた関係性ではありますけど、どのように引っくり返してしまうのか、続刊が楽しみです。本巻の最後のほうで大きな兆候が現れ、まさかこのまま直接結びつくまいなと、小さな懸念と大きな期待を抱きつつ……。

 三博士の一人で『スクランブル』には登場しないクリストファー博士は、とびきり有能で実際的で抜け目無さそうで且つ過信も慢心も油断も傲慢も無さそうなのに、いかにして舞台から退場してしまうのか。
 主役のボイルドは最良のパートナーであるウフコック──己の「有用性」の証明をアイデンティティとする高知能ねずみ兵器──を、いかにして“濫用”してしまうのか。
 イースター博士はいかにしてやせ(笑)、いかにしてパンク精神と志を受け継ぐのか。
 などなど、興味は尽きません。

 『スクランブル』では、じれったい胸糞の悪い始まり方(ねらいでしょうが)。『ヴェロシティ』では、わくわくする胸のすく(本編の)始まり方。同じ人物たちによる始まりなのに、この対比!

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2007年6月22日 (金)

朝日ソノラマ、店仕舞い。

 株式会社朝日ソノラマが、「9月末日で営業活動を停止」するそうです。(公式メールマガジンからの情報)
 「現在ソノラマ社で発行しているコミックスやノベルスなどは、朝日新聞社出版本部が出版権を引き継ぎ、10月以後は朝日新聞社の新刊として発行することが決まっています。」とのこと。

 来るべき時が来ましたね。やっとこさ(?)……。

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2007年5月10日 (木)

泣き虫弱虫諸葛孔明 第弐部

Nakikoumei02  酒見賢一『泣き虫弱虫諸葛孔明 第弐部』(文藝春秋)を読みました。『後宮小説』『墨攻』などを書いた小説家の、最新作です。
 描かれる範囲は、「孔明出廬から長坂坡の戦いまで」。第壱部は、「孔明の嫁取りから三顧の礼まで」でした。

 メタフィクション小説です。語り部は個性を強く押し出した著者であり、歴史書である『三國志』と後の注釈書・現代研究、歴史物語である『三国志通俗演義』に随時あたっています。それぞれや相互の矛盾・虚実を逐次つまびらかにし、解釈の摺り合わせ・独自の解釈を織り交ぜながら描いています。
 「関羽はじっとしていれば武人の鑑として、床の間に飾っておきたいくらいの惚れ惚れするような男であることは宇宙の定説である」みたいな語りで、いままでの酒見さんの作品の生真面目な地の文と大きく異なっています。

 三国志のことをほとんど知らないので──劉備・関羽・張飛・孔明・曹操の名前ぐらいしか知りませんでした──、そういうものですかと拘りなく読めました。でも『第壱部』を読んだ後、すぐに趙雲の名前すら忘れてしまいました(笑)。

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2007年4月 1日 (日)

自由はどこまで可能か リバタリアニズム入門

Jiyuuhadokomade  森村進『自由はどこまで可能か リバタリアニズム入門』を読みました。図書館で借りて。
 約六年前に出た本ですが、分かりやすく、示唆に富んでおりました。自他を含めたリバタリアンへ時折り向ける懐疑も、好感が持てるものでした。
 また本書でも『日本を甦らせる政治思想』でも、笠井潔(※)『国家民営化論』が首尾一貫した最過激なリバタリアニズム書として(やや揶揄を持って?)参照されていました。その『国家民営化論』は、今は品切れのようです。(最寄りの図書館にも無い……)

 平均的「リバタリアニズム」を単純化すると、「夜警国家論」──「古典的自由主義論」になります。政府(地方政府を含める)による経済政策など「自由放任」への介入を排し、警察・軍事・外交など最小限にして民間には為しえないことにのみ政府の機能を制限するという。
 これもまあ、感想は総論賛成・各論反対となってしまうんですけど……。J.S.ミル『自由論』を読んで感激して以来、「自由」ほど大切なものは無い──時に手続き手段に過ぎないにしても──と思ってますが。

 「臓器移植くじ」「眼球再分配」などの思考実験的な主張の紹介。「破産免責」「遺産相続」「国債」「失業保険」「公的医療保険」「公的年金」などの否定。「プライヴァシー」「著作権」の否定。「移民」「外国人選挙権」の全面開放。教育を含めた子どもの自由に対する考察(「特定の主義・宗教を親が教え込んでも良いが、それらを批判的に再検討する能力・機会を奪ってはならない」など)。などなど賛否は兎も角、示唆に富んでおりました。
 「自生的秩序」の進化論的優位──伝統や慣習法が合理的に「設計」され上から施行された新法よりも無条件に優れているとする立場──に批判的なのも、自由を尊重する姿勢として首尾一貫してます。
 リバタリアンも偏狭な人ばかりじゃないんだなー、と。

 ただ、累進課税など高収入者(社)への不平等を改めれば、アメリカなどのように寄付や慈善活動が増えるという主張は、楽観であると思いました。累進課税が良いとは言い切れませんけど。
 マルクスじゃないけど、金持ちであるほど累進的に金を稼げるのですから。裸一貫からも億万長者にもなりうるという「機会の平等」のみを以って、「結果の平等」まで保障する云われは無いという意見はね……。

※小説家・(文芸に限らない)評論家として知られている笠井潔──わたしは読んだことないですが──は、『1968年』でも名前をあげられていました。笠井は小説家になる前に、べ平連(「ベトナムに平和を!」市民連合)を経て学生運動もやっていたらしいです。

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2007年3月25日 (日)

1968年

1968nen  すが(糸へんに圭)秀実『1968年』(ちくま新書)を読みました。図書館で借りて。
 2006年10月の発売時はスルーしましたが、鈴木邦男さんがすすめていたので。1968年は個人的に思い入れのある年なので、そういう理由で読むのもどうかと見送っていたのですが……。

 世界的な1968年革命(?)と同じように、日本も1968年に規定されている──といった内容の本です。70年安保改定なんぞではなく──という。(ましてや、団塊問題なんぞ……)
 当時の状況の読み物として、おもしろかったです。思想・政治運動・学生運動・労働者運動などの。

 当時、体制抗議運動の担い手は新左翼であった。しかし1968年前後に新左翼内で、在日中国人(華僑)学生から運動内での民族差別が告発された。
 マイノリティからの差別に対する告発は、それより前からも当然あった。しかし、「大きな物語」──革命(!)などの「本質」問題──より優先されることはなかった。「小さな物語」──民族差別・部落差別・女性差別などへの抗議は、後回しにされていたのだ。それが事ここにいたって、疎外や排外主義を告発する側の内部における疎外や排外主義の存在が、「大きな物語」における告発の正当性を保障するために無視できなくなったのだ。やがて不可避的に、「小さな物語」は抗議運動の主問題にもなっていく。

 「小さな物語」は、未来だけでなく歴史──それまで「正史」とされていたものをも書き換えようとし始める。今では、反対の立場から「自虐史観」──「正史」とされていたもの──の書き換えの試みすら為されている。(「正史」やそれを否定するものの、それぞれの是非は置いておく)
 「小さな物語」は、弱者の主張だ。弱者は、「弱者の痛みや被害は、強者には分からない」──それが「本質」!──と言う(「病人」や「障害者」に置き換えても良い)。それを「分かれ」と言う。強者が、「分かる」と言っても「分からない」と言っても駄目なのだ。(「拉致問題」や、「侵略への謝罪問題」を見ても分かるだろう)
 抗議運動が一国内の問題ではなくなると、問題の大小は相対化され、それぞれの「大きな物語」がぶつかり合うことにもなる。グローバリゼーションと民族主義のぶつかり合い──「大きな物語」(本質)同士のぶつかり合いのように。
 多様性と協調性がどちらも大切なのは、誰にとっても自明のはず。それらが、理解しあい調整しあうことができなくなっている。グローバリゼーションと民族主義。男と女も、何もかもが一緒でも伝統(慣習)的な役割固定が良いわけでもない。
 日本でも声高に叫ばれるようになった「国益重視」──国益の最大限化も、世界協調をふまえた国益重視を踏み越えそうな勢いである(日本に限らないが)。もっとも日本の場合は勢いだけで、実際的に国益の最大限化(の目に見える増大)が政府によって為されるとは思われず、これまでどおり消極的に踏み越えていくだけだろうけど。

 ──と、主題(?)を帰納的に少し広げて、上記のように理解しました。そんなことばかりが書かれてるわけではなく、むしろ少しだけでしたけど。
 あくまでも、日本現代史の掘り起こしと再解釈が、物語として面白かったです。中核派や革マル派が云々……とか。

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2007年3月23日 (金)

一千一秒物語

Comettarouphoplanetarium  稲垣足穂『一千一秒物語』(発売:人間と歴史社/発行:木馬舎)を読みました。図書館で借りて。
 「中村宏」展で共著書が展示されていたので、興味を持ちました。

 最も入手しやすい新潮文庫版(未読)と異なり、『第三半球物語』や他のショートショートも集録されていました。「『一千一秒物語』の倫理」を除いて、新潮文庫版のようにエッセイや批評の類は収録されていませんでした。
 第一作品集である『一千一秒物語』が単独で出版されたのは、大正12年だそうです。タイトルは、佐藤春夫の書き損じ原稿から拝借したのだそうな。

 『一千一秒物語』と『第三半球物語』はショートショートというより、数行から数十行の散文詩の集まりです。詩は得意ではない──あまり好きではないのですが、下記の『一千一秒物語』と『第三半球物語』一篇ずつは気に入りました。

【MAN OF THE MOON】
ホフマンスタールの夜の景色に昇ったパノラマのまん円い月から人が出てきて 水のような青い光に照らされている街や丘や池のほとりや並木道を 何の目的もなく歩き廻って 月が頭の上にグルーと半円を描いて落ちるとき 又月の中に入ってしまった その刹那にパタッという音がしたので よく考えてみると 丁度散歩から帰って来てドアーをしめた時であった それでその人が自分であったことに初めて気がついたのである

【何もすることのない男の話】
何もすることがないと云ってかけ声もろ共空中にとびあがり 二メートルばかりの高さのところで昼寝をはじめた

 上記のようなものの他に、月をピストルで撃ち落したり、土星とバーで殴り合いをしたり、猫のしっぽをハサミでちょん切ったら尾が切れたホーキ星になって逃げたり、などのものがありました。
 夢幻的というより、ちょっととぼけた感じですね。おおむね生真面目な宮沢賢治とちがって。

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2007年3月17日 (土)

弱小国の戦い

Jakushoukoku  飯山幸伸『弱小国の戦い(副題:欧州の自由を求める被占領国の戦争)』(光人社NF文庫)を読みました。同著者の、『中立国の戦い(副題:スイス、スウェーデン、スペインの苦難の道標)』が面白かったので。

 『中立国の戦い』の三国に比べて取り上げる国数が多くなったので(頁数は少し減っている)、駆け足の記述に感じられました。詰め込まれている情報量は多いのですけど。
 そのためか、一読目ではあまり頭に入りませんでした。しかし、ざっと読み直すとまあまあ頭に入ってきます。予備知識の無い者(わたしもそう)への入門書としては、かえって良い本かもしれませんね。

 扱う時代は、近世(ざっくり)から第二次大戦まで。扱う国々は、低地諸国(オランダ、ベルギー)、スカンディナヴィア諸国(デンマークも含む)、バルト三国、バルカン諸国、ポーランド、ギリシアなどなど。
 弱小国というと、一方的に弱い立場の国々と思ってしまいます。しかし状況に応じて、より弱ってる国の領土を奪い取ろうとかもあるんですね(当たり前か)。第一次大戦前のルーマニアやブルガリアみたいに。
 一方で大国は弱小国の主権や独立など二の次で、当時の「勢力均衡」──プロイセン宰相ビスマルクに代表される──の考えに沿って、弱小国の帰属をいいようにしていたようです。マケドニアの帰属──最後(?)のロシア・トルコ戦争によりオスマン・トルコの支配下から逃れた──を、バルカンにおけるロシア──スラヴの守護者をもって任ずる──を牽制するためにオスマン・トルコの支配下に戻したりなど。

 また、ポーランドの解体──18世紀後半の三次に渡る分割による──前の猶予(放置?)期間をさして書いた下記の文章は、うなづきつつも納得しきれませんでした。

 非武装中立で平和を維持しようというなら、列強国から「取るに足らない国」と見られても構わないという開き直りが必要という事例のようでもある。

 “取るに足る国”であれば、非武装中立も成り立ちうるのではないでしょうか。非武装でも中立でもありませんが、クウェート(非武装に近い?)や台湾(軽武装?)の現状を見るに。
 しかし一国が非武装に徹するには、よほどの実現性に基づいた「共通善」の一致を得なければ成しえませんね。さもなければ、強国の庇護国になってしまいますね。

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2007年2月25日 (日)

日本を甦らせる政治思想

Nihonwoyomigaeraseru  菊池理夫『日本を甦らせる政治思想』(講談社現代新書)を読みました。
 日本では知名度が低く誤解もされているという、「コミュニタリアニズム」を紹介する本でした。「コミュニタリアニズム」とは、「コミュニタリアン」(コミュニティ者?)の主義だそうです。コミューンやコミュニズムとの混同を防ぐためか、意図的に「共同体主義」などと訳していないようです。

 リバタリアニズム──最大限の個人の自由(主張者によって差があり、最過激は「無政府主義」)を求める主義──およびネオリベラリズム(市場万能主義)に、対抗する主義のようです。次いで、リベラリズムの中の価値中立的な(思想や主義や社会や制度に対して、優劣や善悪を問わない?)一派に対しても。
 コミュニティ(中間共同体)を重視し個人単位“のみ”への分裂化に反対する──個人は尊重するが「共通善」(※「公共善(≒公益)」ではない)を最尊重する──ゆえ、“健全”なナショナリズム(愛郷心)には賛成のようです。

 感想としては、総論賛成・各論保留となってしまいます。もちろん「機会平等」だけでなく、ある程度の「結果平等」──かつての「共産主義」の悪平等とは異なる──は目指すべきでしょう。「大企業の優遇から導かれる税収増を以って、国の平均を底上げする」式ではない、「底辺層の底上げにより、国の平均を底上げする」の姿勢──底辺者を甘やかすという意味ではない──を。
 でもそれが、中間共同体の再興──姜尚中も同種の主張をしていますね──により成されるのかと。日本で再興できるのかと。オランダのような伝統を辿っていないのに。

 同書でも家族を最小のコミュニティとして再興の対象としていますが、それが精一杯ではないでしょうか。日本はやはりフランス型を手本とし、また個人間の“自覚的”な友愛(国内外の見知らぬ他人をも対象とする)を再興(新興?)する──これなら教育で可能ではないか?──のが良いのではないかと。

※「共通善」と「公共善」の弁別は難しいですね。
 “自由な個人”のみが“自由な社会”を形成しうるというのは正しいですけど(本書の述べるところではない)、それは理念上であって、「社会契約」と同種の便宜上の(使い方によっては正しい)フィクションです。「共通善」を正当性の担保とし多くの階層への“自由の制限”(規制)によって多くの階層への“自由を保障”した社会にのみ、最大限の“自由”──質×量であって単一者の最大限の“質的”自由(望めば独裁者にも奴隷となりうる自由)や最大限の“量的”自由ではない──がありうるでしょう。
 「共通善」が多数者の総意(単純な多数決ではない)によるものだとすると、アメリカ軍の沖縄駐留は日本の「共通善」ではありませんね(多分……)。結果的に“自由を保障”し、「公共善」が得られるとしても。国家の防衛が政府の専任事項であって専断や機密があり得るとしても、「アメリカ軍の沖縄駐留」レヴェルの大方針は「共通善」に従うべきではないでしょうか。
 まあ日本政府が「共通善」に従う意思を持っているなら、ずっと前にイラクから自衛隊を撤退させていた──あるいは派遣しなかったでしょうけどね。

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2007年2月24日 (土)

フェイト/ゼロ Vol.1

Fatezero  虚淵玄『フェイト/ゼロ Vol.1』(TYPE-MOON BOOKS)を読みました。
 TYPE-MOONの商業ゲーム『フェイト』シリーズ(本編)の“前史”として、他のゲーム会社(ニトロプラス)の脚本家が書いた“同人”小説です。400頁近くありましたが、全四巻の予定だそうな(一冊完結だと思ってた……)。

Fate-Zero
http://www.fate-zero.com/
Fate-stay night[Realta Nua]オフィシャルホームページ
http://www.fate-ps2.com/

 聖杯──アーク(聖櫃)と同じくキリスト由来の願望機──をめぐる争いがなぜか日本で秘密裏に行われていて、本編における第五次聖杯戦争(争奪戦)の十年前の、第四次聖杯戦争が描かれています。七人の魔術師(マスター)が七体の英霊(サーヴァント)を召喚し、最期に勝ち残ったペアが聖杯を得られるとの由。
 英霊(苦笑)とは、実在または空想上の人物が広くまたは深く支持され得る状態になったとき──現在までに限らず未来においてとしても──に、時空を越えて現界し得るに至った存在を指しているようです。本編も本作も日本や東洋の英霊はほとんど出てこず、仕方なくも(?)ちょっぴりさびしいですが……。

 それで、『フェイト/ゼロ』です。一巻を読む限り、良くできた二次創作品(ファンフィクション)でした。オリジナル(本編)をやがて改変するに至る前史ではないようなので、オリジナルを越えられないのはい致し方ないことですが(著者も原作者も承知の上であろう)。
 ありがちですが、豪放磊落な征服王イスカンダル(アレキサンダー大王)と自己評価が過大な小心者魔術師の脇役ペアが、ほほえましくていい感じでした。ますますドロドロしていくであろう物語なので。ただ、「大帝の剣」は用いなさそうです(笑)。
 本編の主人公たちの近親者たる本編には登場しない二人の魔術師──正統派の魔術師(“由緒正しき”錬金術師と同様の“正当派”)と異端の魔術師(魔術以外の手段を“も”駆使し、魔術師を狩るのを得意とする)は、予想通りのいけ好かなさでした。

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2007年2月14日 (水)

吸血鬼ハンター18 D-狂戦士イリヤ

D18  菊地秀行『D-狂戦士イリヤ』(ソノラマ文庫)を読みました。

 西暦一万二千年以降の地球。“貴族”と呼ばれる吸血鬼たちの、人間への支配も大幅に衰えた時代。それでも、貴族や眷属(狼人間など)や被造物(怪物やゴーレムなど)たちの力は、人間に比べはるかに強大であった。
 主役は、ただならぬダンピール──吸血鬼と人間の混血児──である“D”。言語を絶する美貌であり、他人を冷徹に寄せ付けない彼は、超凄腕の「吸血鬼ハンター」であった。

 まあ、いつもの“D”でした。訳ありのゲストと係わり合いになり、なぞめいた事態となり、貴族と対決することになるという──。まあ、いつもどおり水準以上に面白かったですけど。
 というわけで、神祖──貴族の盟主であったドラキュラ──と関わる“D”の出生の秘密──第一巻から示唆されている──については、今回も何も明かされませんでした。

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2007年2月 1日 (木)

右であれ左であれ、わが祖国日本

Migihidari  舩曵建夫『右であれ左であれ、わが祖国日本』(PHP新書)を読みました。かなり良かったです。

 著者の本職は文化人類学者だそうですが、同書の内容は、これから日本が取るべき方針──国家から個人まで大枠としての──でした。
 本職のせいか、著者が提唱する「中庸」──普遍的理想論にも慣習絶対視にも単純化理論(地政学など)にも相対的虚無にも遠すぎず近すぎず──が、観察眼と思考実験に表れています。
 前提において、中国が中長期的にはアメリカに次ぐ超大国になることが自明とされています。対して日本は、中長期的には下り坂を辿っていくことが。その上で下り方を緩やかにし、国内・国際的に軟着陸させるにはどうすべきかを、織田信長以降の外交政策から単純化した三つのモデル(国際日本・大日本・小日本)を取捨しながら、思考実験しています。

 北朝鮮クライシス(大量難民発生や体制自壊)時の周辺主導的な積極支援──「内政干渉に触れないように」との注釈が微笑ましい──こそが、最大にして“最後”の日本の歴史的汚名返上のチャンスである、とのこと。その認識にハッとさせられました。

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2007年1月23日 (火)

オランダ 寛容の国の改革と模索

Holland  太田和敬・見原礼子『オランダ 寛容の国の改革と模索』(寺子屋新書)を読みました。

 15世紀から現代まで、オランダの概略を知るに良い本でした。スウェーデン型の高福祉やフランス型の共和主義などとの類似や相違を、頭の中で比べながら読むと面白いかもしれません。

 特に、「柱状社会」と称される宗教(派)間で棲み分けされた、フランス型共和主義(学校・役所などの公的空間における宗教性の排除)との違いが興味深かったです。一方で教育機会については、両国とも公立・私立で学力・費用になるべく差が生じないように配慮されているようです(学校の目的(進学高校・職業訓練高校など)が違えば、学力は異なるようですが)。

 あと、原付が自転車レーンを走ってるそうです。オランダは、ヨーロッパの中でも特に自転車先進国だそうなのに……。

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2007年1月21日 (日)

DDD 1

Ddd1 奈須きのこ『DDD 1』(講談社BOX)を読みました。箱入りで、税別1300円とちょっと高かったです。

 一部では有名な奈須さん。「ライトノヴェル」にあんまり興味ありませんが──と言いますか小説そのものへの興味が減退しているが──、出自が出自なだけに、愛着の念がある物書きさんです。

 『DDD』も過去の作品と同じく、“架空の”現代日本が舞台となっています。しかし過去作品が共有している「魔法・魔術」が実在していた世界ではなく、別の異形が新たに(?)現れた世界に変わっていました。
 中心人物二人は、左腕の無い(白髪化している)青年男子と両腕・両脚の無い(長髪で美少女のような)少年男子。物語構造はミステリーだったりサスペンスだったり(?)で、被害者と加害者が入れ子になって錯綜し溶解してしまうような、よくある感じ(?)です。

 同作者の魅力は、下記のような外連味のある文章に表れています。

普通の義手なんて、君にとっては体の内側に着る服のようなものだよ。そりゃあ気持ち悪くて失神ぐらいするさ(P.55)

 と思えば、下記のような文章を二重の皮肉で用いたり。

自身に価値を見出せないのなら、君の価値を認めてくれる者に触れなければいけない。君には自信ではなく、君を必要とする者こそが必要なのです。一生をかけて探しなさい。(P.143)

 でも後者の文章は、同種のことが村上ユカの名曲(?)『カレハコトバ』でも唄われていて、「歌ならすなおに聴けるのに……」と少し複雑な気持ちです。

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2007年1月17日 (水)

永遠平和のために

Eienheiwa  カント『永遠平和のために』(岩波文庫)を読みました。

 哲学者の書いた本ですが、さほど難解ではなく、薄い(解説・注を除いて約110ページ)のもあって読みづらくはなかったです。

 19世紀末(フランス革命の少しあと)にありながら、下記のような提言を検証しながら行っています。

  • 国家常備軍の廃止(国民皆兵が望ましい)
  • 内政不干渉
  • (自然法に基づいた)国内法から演繹される、国際法の制定と遵守→いくら戦争だからといって、将来に禍根が残るようなことをしちゃいけない
  • 世界統一国家ではなく、自由な国家間による世界連合の必要性

 個人的には、「個々の政治格律の正しさは、公表性の有無から判断される」旨の格律が興味深かったです。優れた政治家ほど(?)政治理論と理想の空虚さを言い立て、衆愚政治を嫌い、公表性の無い(公衆に知らせない)仕事──汚れ仕事が必要だと言う。しかし政治が公衆のためのものであるならば、公表性の無い格律に真の正しさは無いく、「目的は手段を正当化しない」という──。

 まあでも、内容薄めです。

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